説教

2019年1月20日

平和を尋ね求め、追い求めよ
菊地啓示 牧師


詩編 34編12〜15節




 わたしたちは誰もが、ここに言われているように「喜びを持って生き、長生きして幸いを見ようと望む(13節)」一人一人であると思います。
 そのようなわたしたちに向かって神様は、そうであるならばこうしなさい、「舌を悪から、唇を偽りの言葉から遠ざけ、悪を避け、善を行ない、平和を尋ね求め、追い求めよ」、と仰っているわけですが、特に本日は「平和を尋ね求め、追い求めよ。」との御言葉に心を向けたいと思います。
 平和と聞いてわたしたちは、誰かとの間に、どこかの国との間に、争いのないこと、穏やかに生きられることを思い浮かべるのではないでしょうか。昨年幾度か、「あの国からミサイルが飛んでくるぞ、あの国はわたしたちの国を攻撃しようとしている!」、といって警報が鳴らされたことがありましたが、平和の空気が吹き飛び、一気に緊張状態となりました。
同じようにわたしたちも、誰かとの関わりの中で心の中に警報を聞く時があると思います。「この人がわたしを責めてくる。わたしを攻撃してくる」。何かのきっかけでそのように感ずることがあったり、思うことがあると、わたしたちの心には警報が鳴り響き、心は戦争の状態となり、平和とはほど遠い有り様となります。
 自分の身は自分で守らなければ!と思い、いつでも来い、相手になってやるぞ、と臨戦態勢に入るのです。わたしたち人間は、わたしを脅かしてくる誰かを、また、わたしを脅かしてくる何かを、どこかで恐れて生きているところがあると思います。

 そのようなわたしたちに向かって、神の御子イエス・キリストは、主なる父なる神様ただ御一人を畏れて生きる姿を示してくださいました。それは、ただ主を畏れ、主に従い、主に求め、主から受け取って生きられた姿です。
「父なる神様以上に善き御方はない。父なる神様以上に愛の溢れる御方はない。この御方はわたしたちを喜んでおられ、わたしたち一人一人の憐れみ深い父なる御方であり、どんな時にもわたしたちの父であることを御止めにならず、何があってもわたしたちを見捨てない。愛する子よ、愛する子よ、とわたしたちを呼び続けてくださり、全ての善きものでわたしたちを満たし、喜ばせてくださる」。
 主イエス・キリストがこのように現わされた父なる神こそが、わたしたち人間が本当に畏れるべき御方であるのです。
この週わたしたちは、主イエス・キリストの十字架の犠牲により、全ての罪が赦されていることを繰り返し、繰り返し確認して歩むことを通して、「神との平和」を生きて行きましょう。
 信仰によってわたしたちは既に、神の子とされており、神様はわたしたちを喜んでいてくださいます。主イエス・キリストの十字架によるこの「神との平和」の中で安息し、家族、隣人と生きる。「神との平和」をいただいていることを喜んで隣人、家族と生きる。「平和を尋ね求め、追い求める」歩みは、何よりもまず、わたしたちが主イエス様によって打ち立てられた「神との平和」に生きるところから始まる歩みです。
 復活の主イエス様は今日も、わたしたちの真ん中に立たれて、十字架に釘付けられた手と槍で突かれたわき腹の傷を示し、「あなたがたに平和があるように」と語っておられます。内に住まわれる助け主・聖霊の主の導きをいただいて、この一週間どんなときも「イエスこそ主なり」と告白して、「神との平和」の中を歩んで参りましょう。







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