説教

2018年4月29日

安らぎが得られる
岸 敬雄 伝道師


エレミヤ書 45 章 11 節:マタイによる福音書 11 章 25〜30 節




エレミヤは夢を見ました。神様からの啓示を受けたと言ってもよいでしょう。エレミヤの見た夢は大変好ましい者でした。神様が繁栄を回復すると言っていて下さるのです。魂を潤しなえた魂に力を与えるというのです。エレミヤのおかれている状態は厳しい者でした。

バビリンの捕囚が起こる前には国が亡ぶことを予言し、捕囚が起こると、捕囚は70年も続くと言い為政者をはじめ人々に嫌われていました。しかし、これは神様から伝えられた真実だったのです。

そんな中で、本日の様な啓示が夢と言う形でエレミヤに与えられたのです。繁栄が回エレミヤの力を与える為だったのではないでしょうか。希望をそして力を与える為だったのです。ユダの人々に繁栄が回復されるということが前提となって、啓示の内容は進められています。

エレミヤは日々神様の働きをしているにもかかわらず、人々には理解されず受け入れられることが無く、時として疲れ、平安を失ってしまったこともあったでしょう。そんなエレミヤに主は啓示を通して自分の働きの意義を再確認させ平安を与えてくださったのではないでしょうか。

本日読まれました聖書箇所のもう一つの箇所、マタイによる福音書25〜30節の中で、神様は29節で「あなたがたは安らぎを得られる。」と言っておられます。

マタイによる福音書25〜30節は大変有名な箇所で、愛称聖句とされている方も多くいらっしゃると思います。

イエス様もエレミヤのように人々に真の姿を理解されませんでした。一番近くにいた弟子たちからもです。それは、救い主が来られるということであります。しかし、この救い主は全人類の救い主であり、ユダヤ人のみの救い主ではありませんでした。

イエス様の真の使命などを理解していてくださったのは、天父なる神以外いらっしゃらなかったともいえましょう。

イエス様は、自分のことを周りの認がんが理解できない苦しみの中で、天父なる神に祈る時にこそ、一番の平安が得られていたと考えられます。本日の箇所の前の部分でも、今の時代を嘆かれ、イエス様は悔い改めない町々を叱れ先ず「あなたをほめたたえます。」と天父なる神を賛美しています。

イエス様は主にを負って疲れた者に呼びかけています、誰でも来なさいと。休ませてあげようと、イエス様は自分が柔和で謙遜な者であるから、わたしの軛を負って学びなさいと言われています。

軛は牛等の家畜に掛けられ農作業を行うもので未熟な家畜とベテランの家畜を繋ぎ未熟な家畜を助けるものだということが当時から理解されていたのです。

だからこそ私たちはイエス様の軛を負う人様があるのです。そして、イエスさもの軛を置くことによって平安が得られるのです。

私たちもイエスの軛を負って、イエスに倣って行く時に平安が得られるのであります。






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