説教

2018年1月28日

新しい霊
大坪章美 牧師


コリントの信徒への手紙二 5 章 14 ~ 17 節


主なる神様は、捕囚の民としてバビロンで苦役を課されていた預言者エゼキエルに告げられました。エゼキエル書11:17節です、「わたしは、お前達を、諸国の民の間から集め、散らされていた諸国から呼び集め、イスラエルの土地を与える」と、話されたのです。

そして、神様は続けて言われました、「わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に、新しい霊を授ける。わたしは、彼らの肉から、石の心を取り除き、肉の心を与える」と、仰いました。神様は、彼らに、「新しい心と、新しい霊」を授けて、彼らが神の命令を成し遂げて、もう一度、神の民になることが出来る、と仰るのでした。そして、神様によって人間の本質が変えられて、イスラエルの民と神様との間に、モーセの時代にさかのぼる契約関係が回復されるのです。

このエゼキエルの預言から、650年程も後の、紀元55年頃、場所はマケドニアです。パウロは、先頃までエフェソに滞在していたのですが、コリントの教会との関係が悪くなってきたものですから、エフェソから船でエーゲ海を渡り、直接コリントの教会を訪問してコリントの教会との間を改善しようと努めたのですが、その効果は無く、むしろ、パウロ自身が恥をかかされるような結果に終わったのでした。その為に、パウロはコリント滞在を中断して、突然エフェソに戻ってしまったのです。なぜ、そのような事になったのかと申しますと、少し前に、コリントの教会に、パウロを非難する巡回教師達がやって来て、彼らの扇動によって、コリントの教会の信徒までもが、パウロが使徒であることを公然と批判するようになったからです。

憤然として、エフェソに戻ったパウロは、「涙の手紙」と呼ばれる手紙を書いて、愛弟子テトスに持たせ、コリントへ派遣したのでした。そして、テトスが、この「涙の手紙」を読んだコリントの信徒達の様子を報告してくれるのを待ちわびて、この度自らマケドニアまで出向いて来たのでした。そして、パウロは、コリントから戻ってきたばかりのテトスと再会しました。その時の事が、7:5節以下にあります。「マケドニア州に着いた時、私達の身には全く安らぎが無く、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。然し、気落ちした者を力づけて下さる神は、テトスの到着によって、私達を慰めて下さいました」とパウロの喜びの声が聞こえてくるような内容が書かれています。人間的には“絶望”と思われる時こそ希望の夜明けが間近にあるのです。そしてパウロはこれを受けて、喜びの内に、コリントの信徒に宛てて、「和解の手紙」と呼ばれる手紙を書いて送ったのです。その「和解の手紙」に相当するところが、このコリントの信徒への手紙二の、1〜9章にあたるところです。

パウロの行動を規定するものは、唯、二つだけありました。一つは、「神のため」と、もう一つは、「あなたがたの為」という二つの規定のもとにあったからです。このように、パウロを、集会の為に理性的に考えさせ、行動させるものは、唯、“愛”のみでした。14節で語られた「なぜなら」という、理由を述べる言葉は、この“愛”すなわち、“キリストの愛”があるからだ、ということを語っているのです。パウロが「神の為」と、「集会の為」とに生きて、自分の為に生きる事が出来ない理由は、「パウロを支配している、“キリストの愛”があるから」と言っているのです。パウロも、キリスト者も、これから後は「キリストの為に生きて、キリストに属する者となる」という生き方を取るのです。そしてこのように、もはや自分の為でなく、“キリストの為に生きている”という事を認める限り、パウロの全ての判断に“新しい霊”が働いているのです。

そして、キリスト者は、キリストの死と復活と一体となって、バプテスマに死んで復活して、永遠の命に与っているのです。新しく創造されたキリスト者の内には、新しい霊が宿り、“新しい人”として生きるのです。そしてまた、これこそ、エゼキエル書11:19節で預言者エゼキエルが聞いた神の言葉、「わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に“新しい霊”を授ける」という預言の成就に外なりません。




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