説教

2017年11月5日

ギレアドに医者がいた
大坪章美牧師


ルカによる福音書 5 章 27〜32 節



エレミヤ書8:14節からは、この時のバビロニア軍による、エルサレムの城攻めについての、嘆きの歌が、「我々の神、主が我々を黙らせ、毒の水を飲ませられる。我々が主に、罪を犯したからだ」と歌われています。ユダの人々は言っています、「今、私達は、神により、命の水ではなく、あらゆるものを殺す、毒の水を飲むことになる。何故ならば、私達が主なる神に対して、大きな罪を犯したからだ」と言っているのです。イスラエルの民の、不安に満ちた問いに対する神の応答は、厳しいものでした。「なぜ、お前達は、偶像によって、異教の空しいものによって、私を怒らせるのか」と、答えられたのです。エレミヤは、イスラエルを、「娘なる我が民」と呼ぶ程に、愛していました。その、愛する娘の傷が癒えないのです。苦しみは深刻でした。

そして、22節です、「ギレアドに、乳香が無いと言うのか。そこには、医者がいない、というのか。なぜ、娘なるわが民の傷は癒えないのか」と、預言者エレミヤは、悲痛な声を、振り絞っています。

次に、時と場所は変わりまして、エレミヤの預言から六百年余りも後の、ガリラヤ湖の畔での事です。先程お読み頂きましたルカによる福音書5:27節は、「その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、『わたしに従いなさい』と言われた」という言葉で始まっています。レビは徴税人でした。徴税人とは、ローマ帝国の税金を取り立てる徴税請負人です。ローマ政府は、取り立てる“税額”を査定するだけでしたので、徴税人は相当の利益を上乗せして私腹を肥やす事が出来たのです。厳格なユダヤ人達は、徴税人が常に異邦人であるローマ人と接触していましたので、「汚れた者」、「罪人」と見なして、「異邦人」や「遊女」と同じ階層に入れていました。

レビは、イエス様から、「わたしに従いなさい」と言われて直ぐに、何もかも捨てて、イエスに従った、と記されています。それは、イエス様のレビを見る目が、他の人々とはあまりに違ったからでした。そこには、本当の、慈しみが宿っていたのです。

それで、レビは、自分の家で、「イエスの為に盛大な宴会を催した」と、記されていることで、その決心の堅さが窺い知れます。そこには、それによって、自分が蓄えて来た沢山の財産を放棄する、という強い意志が見てとれるのです。

そして、「そこには、徴税人や、ほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた」と記されています。この、盛大な宴会は、イエス様のために開かれたものでした。

そこへ、ファリサイ派の人々や、律法学者たちが、ずかずかと宴会の最中に入って来ました。彼らがそこで見た光景は、彼らには信じがたいものでした。 “清さ”を誇りとして生きている彼らにとって、異邦人であるローマに仕え、同胞を絞り上げる徴税人たちは、不潔であって、神の律法に背く、罪人の典型でした。

この、宴会場へ入り込んだファリサイ派の人々や律法学者達が、イエス様の弟子達に言ったというのです、「なぜ、あなた達は、徴税人や罪人などと一緒に、飲んだり食べたりするのか」と咎めました。これに対して、イエス様がお答えになりました、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく、病人である」と、仰ったのです。イエス様は、御自分の事を、「魂の医者」と、仰っています。これに対し、徴税人や他の人々は、自分達が、「魂の癒しを求める罪人であり、病人である」と、自覚していました。そしてイエス様は言われました、32節です、「わたしが来たのは、正しい人を招く為ではなく、罪人を招いて、悔い改めさせる為である」と仰いました。イエス様は、“魂の医者”でありました。

ここで、私達は、預言者エレミヤが語った、「ギレアドには、医者がいないというのか」という、嘆きの預言を思い起こします。バビロニアの軍馬の蹄にかかり、兵士の剣や槍で刺された人々は助けられませんでした。

しかし、今や、かつてのギレアド、ガリラヤ湖の東には、主イエス・キリストという、“魂の医者”がおられたのです。そして、同胞に憎まれ蔑まれ、罪人と指さされた徴税人たちの魂を、救われたのでした。



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