説教

2017年10月22日

御国の福音
大坪章美牧師


マタイによる福音書 24 章 3〜14 節



BC587年の頃です。第一イザヤの預言が成就しました。2度、3度と、南王国ユダは、バビロンの王、ネブカドネツァルの侵略によって、住民はバビロニアの首都であったバビロンの郊外へ連れ去られたのです。

第二イザヤは、これらの捕囚の民が、解放されることを預言しました。そして、その預言は、48:20節で、最高潮に達します。「バビロンを出よ。カルデアを逃げ去るがよい。喜びの声をもって告げ知らせ、地の果てまで響かせ、届かせよ」と歌っています。第二イザヤの、「主は、僕ヤコブを贖われた」という、“完全に贖われた”という完了形での宣言がなされたからこそ、「喜びの声」を、上げることが出来るのです。

この預言がなされてから、およそ六百年も後の、エルサレムの東側にあります、オリーブ山でのことでした。マタイによる福音書24:3節では、イエス様が座っている所にやって来た弟子たちが、“密かに尋ねた”ということが記されています。弟子たちが言うには、「仰って下さい。そのことは、いつ起こるのですか」と、尋ねました。ここで、弟子たちが尋ねている、「そのこと」とは、「エルサレム神殿の崩壊」のことでした。そこで、イエス様はお答えになりました、4節です。「人に惑わされないように、気を付けなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう」と、言われたのです。

「人に惑わされないように」というお答えは、「問題は、自分の外にあるのではなく、自分自身が、どのように歩み、どのように信仰を守り抜くか、にあるのだ」、と、仰ったのです。当時は、偽預言者と言われる人が、数多く立ち上がって、民衆を引き連れて、弾圧されては殺される、という事件が起きていました。「神様に遣わされた者」ではなく、「自ら、自分のことを、“神の権威を持っている”と名乗る者」の中に、偽預言者としての特質があることに、注意しなければなりません。

「世の終わる時」の徴として、イエス様が話されたのは、6節です。「戦争の騒ぎや、戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように、気を付けなさい」と、仰いました。また7節では「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。然し、これらは全て、産みの苦しみの始まりである」と仰いました。

わたし達の救いは、イエス様が、「これらは全て、産みの苦しみの始まりである」と仰っていることです。わたし達は、たとえ、どういう事態になっても、絶望する事はありません。諦める必要もありません。これは、「産みの苦しみの始まりである」と考えなければならないのです。9節でイエス様は、語られました、「その時、あなた方は苦しみを受け、殺される」と言われました。然し、本当に恐ろしいのは、10節で語られている言葉です。「その時、多くの人が、つまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる」と預言されました。「教会の中での、裏切り、憎み合い」が起きるのです。

そして、その結果起きることは、12節にありますように、「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」のです。“正義”が無くては、世の秩序は、保たれません。ましてや、“愛”が無くては、命は生きる事が出来ないのです。「正義と愛が消滅すること」こそが、キリスト教徒を、そして、人類を襲う、最終的な危機です。

そして、13節です。イエス様は、仰いました、「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と、言われました。教会の混乱の中で、「最後まで耐え忍ぶ」とは、具体的には、何を意味しているのでしょう。

それは、既にイエス様が、4節で仰った事に、尽きるのです。イエス様は、「人に惑わされないように、気を付けなさい」と言われました。具体的には、「自分の信仰を棄てる事なく、また、迫害や試練を耐え忍ぶだけではなく、愛に対するあらゆる敵意に対しても、“愛”を示し続ける事」なのです。こうして、「御国の福音が、全世界に宣べ伝えられる時」が、かつて第二イザヤが語った、「喜びの声をもって告げ知らせ、地の果て迄響かせ、届かせよ。『主は、僕ヤコブを贖われた』と言え」という預言が成就した時なのです。「イエス・キリストが再び来られ、世を裁かれ、神の国が来る」のです。



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