説教

2017年8月27日

信じれば、確かにされる
大坪章美牧師


コリントの信徒への手紙二 13 章 1〜6 節



南王国ユダの王ヨタムが息子アハズと共同統治を始めた翌年の、紀元前734年に、シリアの王、レツィン二世と、北王国イスラエルの王、ペカが、ユダに対して、無謀な攻撃を仕掛けて来ました。然し、イザヤ書7:1の最後の言葉は、「攻撃を仕掛ける事は出来なかった」と結ばれています。そして、「レツインとペカの同盟軍が、何故勝てなかったのか」は、ユダがアッシリアの手を借りたからでもなく、また自衛力が優っていたから、でもなく、「主なる神、ヤハウェの御守りがあったからである」と考えられるのです。然し、彼らはいつ又攻撃を仕掛けてくるかもしれません。ダビデの血を引くアハズ王も、動揺したに違いありません。

そこでアハズ王が考えたのが、ユダの新たな同盟国を探す事でした。ユダの王アハズは、こともあろうに、侵略者であるアッシリアの王、ティグラトピレセルに、自発的に降伏して、アッシリアの保護を受けようと考えたのです。これで何が起こるか、と申しますと、保護国であるアッシリアの神々を、被保護国であるユダが信仰する、という、最も避けるべきことでした。

イザヤは、ユダの王、アハズに対して、「落ち着いて、静かにしていなさい」と言っています。そして、彼らの権力や影響力がユダ王国に及ぶことは無い、ということを明らかにしています。この、「彼らの影響力が、ユダに及ぶ事は無い」という事こそが、「神の啓示」です。イザヤは、この“神の啓示”を、「あなた方が信じなければ、あなた方は確かにされない」と預言しました。神の啓示を、「信じなければ、あなた方は長く立つことは、出来ない」のです。神の保証を、無視してはいけません。「信じれば、長く立つ事ができる」のです。

時代は、新約に移りますが、コリントの信徒への手紙二の13章は、パウロがコリントに宛てた最後の手紙で、その最後の部分に該当する箇所です。彼は、「自分の目で確かめて、コリント教会の問題を解決しよう」と考えているのです。そして「『自分の弱さの中でキリストが語り、行動する』という知識」を支えとして生きています。ですから人間パウロがどんなに弱くても、「パウロの内に働くキリストは、コリントの人々に対して強い事を、自ら証明される」と言っているのです。

13:4節の言葉、「キリストは、弱さのゆえに、十字架に付けられましたが、“神の力によって生きておられる”のです」と、パウロは語っています。そして、5節で、「信仰を持って生きているかどうか、自分を反省し、自分を吟味しなさい」と、勧めています。次にパウロは、自己を吟味する場合の手順を、教えてくれています。先ず、為すべき事は、「『信仰を持っているかどうか』を、自分に問う事」である、と教えています。そして、「信仰を保っている」という事が、どんな状態であるか、を具体的に示しています。「イエス・キリストが、彼らの内におられる事」が、とりもなおさず、「信仰を保っていることである」と、言っています。

“信仰”とは、“現在、生きておられるキリストの働き”であって、「信じる者の中にあるキリストの命」に外なりません。パウロが、「自分自身のことが分からないのですか?」と、疑問文の形で尋ねているところに、未だ、可能性が残っています。本当に“分からない”のであれば、コリントの信徒たちは、信仰からの脱落者になってしまいます。もし、“本当に、分からない”のであれば、・・・パウロは、語尾を濁しています。

パウロは、「わたしたちが失格者でないことを、あなたがたが知るようにと、願っています」と、言っています。「失格者でないこと」、即ち、「『自分の中に、イエス・キリストの命が生きておられる』ことを自覚すること」を、パウロは願っているのです。それは、同時に、コリントの信徒たちの命が、イエス・キリストの中に住んでいることも意味します。そして、これが、“永遠の命”なのです。このことを自分で吟味して、「イエス・キリストが、自分の内に生きておられる」ことを確信するのが、“信仰”です。そして、これこそが、イザヤ書7:9節で、イザヤがユダの王アハズに預言した、「信じなければ、あなたがたは、確かにされない」という預言そのものなのです。



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