説教

2017年1月22日

母が子を慰めるように
大坪章美牧師


テサロニケの信徒への手紙二 2章13-17






イザヤ書の56章から66章までを記した預言者は、第三イザヤと呼ばれる人物です。最初のバビロン捕囚からおよそ70年の時を経て、ペルシャの王、キュロス二世によって、突如、バビロンをはじめとする各地の捕囚の民が、故郷ユダへの帰国を許されたのでした。

66:10節には、この、“救いの到来”に対する喜びが、語られています。「エルサレムと共に喜び祝い、彼女の故に、喜び、踊れ。彼女を愛するすべての人よ」と、呼びかけています。そして、13節には、“神の愛”が示されています。ここで、驚くべきことは、 “主なる神、ヤハウェの愛”を、“母親の愛”に譬えていることです。「母が、その子を慰めるように、わたしはあなたたちを、慰める」と、預言されています

母の愛は、無償の愛であるばかりでなく、自己犠牲的な愛です。イエス・キリストが御自らの命を捨てて、人間の全ての罪を贖って下さったことに通じます。私達は、生きている限り、様々な形での困難に遭遇し、悩みを抱えます。それだからこそ、私達には“慰め”が必要です。それも、“本当の慰め”を、必要とします。

主なる神様は、「母が子を慰めるように、あなたたちを慰める」と、言って下さるのです。しかも、神の慰めには、限度がありません。有力な民が、捕囚の民となって70年、故郷には住む者もなく、異国の人々に占拠され、滅び去った状態であった国を、蘇らせるほどの、力を持っておられます。罪の内に死んでいた人間を赦して下さり、永遠の命を与えるお方なのです。

この、“神の愛”が、新約聖書でも説かれている箇所があります。それはテサロニケ二の2:13節以下です。これまでは、「“不法の人々”が辿る道」を説いていたパウロは、茲からは、180度変わります。これまで、主なる神様は“不法を行う者達”には、サタンを用いてでも、“惑わす力”を送られて、その結果、その人達は、偽りを信じて、裁かれ滅びに至るのでした。

翻って、13節では、パウロは語っています、「しかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちは、いつも、神に感謝せずにはいられません」と、呼びかけています。パウロは、「不法を行う者たち」の未来とは対照的に、テサロニケの信徒たちを待ち受けている「明るい未来」に、目を転じるのです。テサロニケの信徒たちのように、身分の低い信仰者たちの中で、明らかに示された、主なる神様の真実な働きについて、パウロは、「いつも、神に感謝せずにはいられません」と、記しています。

パウロは、「テサロニケの信徒達の選び」について、主なる神様に感謝を捧げて、「あなた達を、“救われるべき者の初穂”としてお選びになったからだ」と言っています。実際、多くの人々が救われるのでしょうが、パウロは、神が、テサロニケの信徒達を、「“救われるべき者の内の、最初の者”とされた」と言っているのです。「救われるべき者の初穂」として、神様から選ばれた、という事は、神が、テサロニケの信徒達を、「主イエス・キリストの栄光に与らせる為」でありました。

そこで、パウロは、テサロニケの信徒たちへの励ましの言葉を語ります。15節です、「ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたし達が説教や、手紙で伝えた教えを、固く守り続けなさい」と、励ましています。

最後に、パウロは、祝祷をもって、この手紙を締めくくります。「わたし達の主、イエス・キリストご自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと、確かな希望とを、恵みによって与えて下さる、わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また、強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように」と、祈って終わっています。

この祈りの中に、わたしたちは、イザヤ書66:13節で預言された、主の言葉を思い起こします。そこでは、「母がその子を慰めるように、わたしはあなたたちを慰める。エルサレムで、あなたたちは、慰めを受ける」と預言されています。わたしたちは、旧約の神によって約束された救いの恵みを、主イエス・キリストの御業によって現実のものとして下さる“救いの確かさ”に、畏れつつ感謝したいのです。






前のページへ戻る