説教

2015年12月27日

体の復活
大坪章美


コリントの信徒への手紙一 15 章 50-58 節



今日お読み頂いた15章は、コリント教会内で争われている重要な問題、即ち、「体の復活」に関する問題です。パウロは、最も重要な問題を、議論の最後に持って来たのです。パウロは、「死者の復活」の考え方を、単純な、「死体の生き返り」と理解してはならない、と言っています。そこには、新しく、栄光ある状態への“変容する”ということが起きるのです。44節では、「つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もある訳です」と記しています。パウロは、わたしたちの将来の生活には、「体がある」と言っています。

そして、50節で、パウロは、今までの議論をまとめて、語ります。「兄弟達、わたしはこう言いたいのです。“肉と血”は、神の国を受け継ぐことは出来ず、“朽ちるもの”が、朽ちないものを受け継ぐことはできません」と、記しています。然し、ここでパウロが言っていることには、矛盾を感じずにはいられません。「肉と血」は、神の国を受け継ぐことができないで、「朽ちるもの」は、朽ちないものを受け継ぐことができない、となると、「肉と血」というのは、わたし達自身ではないか、「朽ちるもの」と言うのは、わたしたち、そのものではないか。・・ということは、わたし達キリスト者は、神の国に入ることも出来ず、霊の体に復活することもできないのか、という不安が、頭をよぎるのです。

パウロは、正しい解釈を51節で述べています。そこには、「わたしは、あなた方に、神秘を告げます。わたし達は皆、眠りに就くわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます」と記しています。パウロは、この神秘を、今、パウロ自身が生きて地上で生活している時に、主の再臨が起きた場合を想定して、語り出します。そして、主の再臨が起きた時、「わたし達は皆、眠りに就くわけではありません。今とは異なる状態に変えられます」と言っています。そして、どのように変えられるのか、ということを52節に記しています。そこには、「ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたし達は、変えられます」と記されています。神の力が明らかになる終わりの日、キリスト・イエスの再臨の日には、全般的な変容が起きるのです。その時、生きている者も、それまでに死んでいる者も、わたし達は皆、変えられるのです。一瞬にして全てを変える神の救済の力は、人間の想像の及ぶところではありません。パウロは、主イエスの再臨の日には、「肉の体から、霊の体への変容が起きる」と、言っています。これが、「復活する時、わたし達の体は、どんな体になるのか」という問いへの答えです。それは、「復活の体へ、変容する」のです。

パウロは、この“体の変容”のプロセスを、53節で語ります。「この、朽ちるべきものが、朽ちないものを着て、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになります」と、記しています。そして、ここに、ホセア書13:14節の預言を示し、この預言が成就した、と言っています。「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか」と、預言しています。57節で、パウロは、「死のとげは罪であり、罪の力は律法です」と、記しています。人を死なせる攻撃力を、死に与えているものの正体は、“罪”です。もしも、“罪”が征服されたならば、“死”も、その力を失ってしまいます。主、イエスキリストが、自らの体を差し出して、人間の罪を贖って下さったのですから、もはや、人間には、死ぬべき理由は、無くなったのです。人間を、“死”に絡め取る「罪と律法」の力から、わたし達を解放して下さったのは、キリストの御業による神の勝利でした。

58節では、「動かされないように、しっかり立ち、主の業に、常に励みなさい。主に結ばれているならば、自分たちの苦労が、決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」と、記しています。「キリストの復活が真理であること」を証言する者は、自らの苦労が、無駄になることは無いのです。わたしたちも、「復活の真理」の証し人となって、福音の希望に生きる者でありたいと、願うのです。



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