説教

2015年11月8日

罪からの解放
大坪章美


ヨハネの手紙一 2 章 28節- 3章 10節




ヨハネは、2:22節で、「偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて誰でありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです」と言っています。ここで、私達は、疑問を感じます。「一体、どのような意味で、偽教師達は、イエス様が救い主であることを、否定したのであろうか」という疑問です。同じく、4:2節には、「イエス・キリストが、肉となって来られたということを、公けに言い表す霊は、全て神から出たものです。このことによって、あなた方は、神の霊が分かります」と、記されています。茲に、偽預言者の偽者たる根拠が示されています。と、申しますのは、偽預言者達が、どうしても、告白できない事が、「イエス・キリストが、肉体をもって、来られた」という事実なのです。彼ら偽預言者達には、「“霊”は尊いものであり、物質は汚れたものである」という認識がありました。偽教師達の教えは、「神は霊であり、“肉体”という感覚の世界とは相容れない存在である」という、二元論に基づいていたのです。グノーシス主義に陥っている偽預言者達には、「キリストが、肉体を持った歴史上のイエスと同一である」という事実を、認める事が出来なかったのです。
 
ヨハネは、読者に勧めています、「初めから聞いていたことを、心に留めなさい。」即ち、「救いの言葉として宣べられた言葉が、読者の心の中に留まっており、また、彼らが、キリストの言葉の中に留まっているならば、神とそしてキリストとの交わりが永遠に続く保証が与えられる」と言っています。又28節で、「さて、子達よ、御子の内にいつも留まりなさい。そうすれば、御子の現れる時、確信を持つ事ができ、御子が来られる時、御前で恥じ入るような事がありません」と教えています。「御子の内に、いつも留まりなさい」という命令は、「キリストの来臨が間近に迫っている事を指し示して、その戒めを、差し迫ったもの」としています。
 「キリストの再臨」は、「最後の時」が過ぎ去った後に実現します。その時、キリスト者が再臨の主の御前に立って裁きに耐える事が出来ますのは、唯キリストとの交わりを、固く保っている場合に限られるのです。
 
そして、ヨハネは、29節から、新しい考え方を宣べ始めます。読者が持っている知識から、ある結論を導き出そうとしています。そこには、「あなた方は、御子が、義なる方であるということを知っているのなら、『義を行う者は皆、神から生まれた者である』ということも、知っている筈である」と記しています。このように、「神の子」とされているキリスト者たちは、それによって、喜びを与えられますが、それは未だ、神様が計画された“恵み”の、最終段階ではありません。最終段階になりますと、私達キリスト者には、どんな喜びが与えられるのか。それは、「御子が現れる時」即ち、「キリストの再臨の時」なのです。その時、キリスト者は、「イエス様のお姿を、ありのままで見て、イエス様と似た者になる」と、ヨハネは言っています。
 
ある人が、罪を犯すのは、その人自身の中にある原因では無く、ある力に完全に引き渡されて、自分自身も、自分の意思も全て、その力、即ち、悪魔の力に支配されているからなのです。そして、これら、悪魔の力、或いは、罪の力から解放されて、自由である者は、ただ、キリストに結びついている者だけなのです。

そして、3:9節では「神から生まれた者」即ち、キリスト者について語ります。キリストを信じる者は、罪を犯しません。と、言うより、「罪を犯す事が出来ません」と、言っています。何故ならば、キリスト者は、神から生まれた神の子であるからです。私達キリスト者は、洗礼を授けられて、新しく生きる者とされました。キリスト者の内には聖霊が宿っていて、この聖霊が罪を犯すことを妨げるのです。最後にヨハネは、「神の子達」と、「悪魔の子達」との区別を明らかにします。悪魔の子達は、罪の束縛の元にあり、神の子達は、罪から解放されています。そして、「神から出た神の子達でなければ、自分の兄弟姉妹を愛することは出来ない」と、証言しています。私達は、神から出た者であり、兄弟姉妹が愛し合って、この世の歩みを続けるのです。




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