説教

2015年11月1日

いつまでも主と共にいる
大坪章美


テサロニケの信徒への手紙一 4 章 13-18 節


パウロが、この手紙を書かなければならなかった理由のひとつは、「イエス・キリストが再び来られる再臨の日、イエス様を信じて眠りに就いた者は、復活する」という約束にありました。ユダヤ人たちには、旧約聖書の中に書かれている、「主の日」という考えがありました。旧約聖書では、おもに、「神の怒りによる裁きが行われる、暗い不吉な日」として表現されています。残念なことに、テサロニケの信徒たちは、パウロが語った、「主イエス・キリストの再臨の日」を、ユダヤ教でいう、「主の日」と同じものと、考えてしまったのでした。そうしますと、人間は、より信仰的になるか、或いは、破滅的になるか、のどちらかです。パウロは、4:11節で、「そして、わたしたちが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい」と強調しています。彼らは勘違いをして、「主の再臨の日が間近いから」という理由で、地道に働く事を投げ出す者もいたようです。

そして、もうひとつ、テサロニケの信徒たちが不安に思っていたことが、彼らが、テサロニケの会堂で、パウロから聞いた、「『すべての信者は、イエス・キリストの再臨を見る』、とパウロが言った」と、理解したことでした。しかし、何人かの信者たちは、この20年間程の間に、既に死んでいました。彼らは、「既に、死んだ信者たちは、主が再臨された時に、復活させてもらえるのか。或いは不利な立場に置かれて、復活の素晴らしい出来事に与れなくなったのではないか」という不安を、隠せなかったのでした。

この不安に対する回答が、今日お読み頂いた、4:13節に記されたパウロの言葉です。「兄弟たち、既に眠りに就いた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように、嘆き悲しまないために、是非、次のことを知っていてほしい」と言っています。パウロが、テサロニケの信徒たちに、是非知っていてほしい、と願ったのは、「イエスが死んで、復活されたと、わたしたちは信じています。神は、同じように、イエスを信じて眠りに着いた人たちをも、イエスと一緒に導き出して下さいます」ということでした。

大切な事は、パウロが、「イエスは死んで、復活された」と言っている事です。私達を含め、人間が犯した途方も無く大きな罪をご自分の身に負って下さり、その罪の報酬である死の恐ろしさを、わたし達に代わって、耐え忍んで下さり、確実に、十字架の上で死なれたのでした。そしてそれによって、ご自分に従う者達の“死”を、“眠り”へと、変えて下さいました。キリストを信じる者は、死ぬ事は無く、眠りに着くのです。

そして、神様は、「イエスを信じて眠りに着いた人たちをも、イエスと一緒に導き出して下さいます」と、記されています。これは、イエス・キリストの再臨の時、ご自分と一緒に眠りに着いた者たちを連れて来られる、ということを示しています。その時が来ると、まず、「キリストに結ばれて死んだ人たちが最初に復活し、それから、わたしたち、生き残っている者が、空中で、主と出会うために、彼らと一緒に、雲に包まれて、引き上げられます」と、記しています。

来るべきキリストの再臨の日には、キリスト・イエスは、天から空に降られ、また、一方、復活した死者達と、未だ生き残っているキリスト者達が神に会う為に、雲に包まれて上がるのです。パウロにとって、重要な事は、17節の終わりにありますように、「このようにして、わたしたちは、いつまでも、主と共にいることになります」という事なのです。この事によって、テサロニケの信徒のうち、イエス様を信じて眠りに着いた人たちの救いが、達成されるかどうかと、心配している人たちも、嘆き悲しむ事なく、希望を持ってほしいと、励ましているのです。キリスト者は、キリストとの再会の希望に生きると同時に、先に世を去った友や、親族との再会も、あるのです。そして、「わたしたちは、いつまでも、主と共にいることになります」という言葉で、パウロは締め括っています。これに付け加えるような、どのような言葉も、必要ないのです。



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