説教

2015年8月16日

王が怒る時
大坪章美


マタイによる福音書 18 章 21-35 節



ペトロがイエス様に尋ねた事がありました。「主よ、兄弟が私に対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」すると、イエス様のお答えは、耳を疑うほど、驚くべきものでした。「あなたに言っておく。七の七十倍までも赦しなさい」と仰ったのです。これを、几帳面に、七掛け七十は、490、490回までは赦すべき、と考えるのは間違いです。その心は、「無限に赦しなさい」というご命令なのです。

そして、イエス様は、この事を、ペトロに教えられただけでなく、事実、身をもって実行されたのです。ご自分を十字架に架けて罵倒し、あざけり、「殺せ、殺せ」と狂い叫ぶ群衆を前にして、イエス様は、「父よ、彼らをお赦し下さい」と祈られたのでした。これこそ、“無条件の赦し”であって、イエス様がもたらされた「神の日」の福音の中核を成すものでした。

しかし、イエス様は、「罪を犯す者の罪を、帳消しにしなさい」とは仰っていません。ちゃんと、責任は、取らせる、という事になるのです。この事を、パウロが記しています、ローマの信徒への手紙12:19節です、「愛する人達、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐は私のする事。私が報復する』と主は言われる、と書いてある通りです」と言っています。義なる神様が、厳しく、義を貫く為の裁きを為して下さるのです。それは、自分個人のために、主なる神様が、代わりに復讐して下さるわけではありません。“神様の裁きは、それだけ、厳正である”、ということなのです。

イエス様は、ここで、譬え話をされました。23節です、「ある王が、家来たちに貸していた金の決済をしようとした。決済し始めたところ、1万タラントンを借金している家来が、王の前に連れて来られた。然し、返済できなかったので、主君は、この家来に、自分も妻も子も、また、持ち物も、全部売って、返済するように命じた」と言うのです。ここで“王”として登場しているのは、“神様”の事です。1タラントンは、6千デナリのことです。そして、1デナリは、当時の労働者の一日当たりの日当に相当しますからこれを一万円と想定しますと。1タラントンは6千万円です。そうしますと、1万タラントンの借金は6千億円の借金という事になります。つまり、返済不能の額なのです。

然し、この家来が、「どうか、待ってください。きっと、全部、お返しします」と、しきりに願ったので、王は、その1万タラントンという莫大な貸金を、帳消しにしてやったのでした。ところが、彼は、王宮の外に出て、自分に100デナリ、即ち100万円の借金をしている仲間に出会うと、捕らえて首を絞め、「借金を返せ」と迫ったというのです。「どうか、待ってください。返しますから」と、しきりに頼んだのに承知しないで、この家来は、100デナリの借金を返すまで、仲間を牢に入れたのでした。この状況を見ていた他の仲間達が心を痛めて、王の耳に入れたものですから、王は、その1万タラントンを借りていた家来を呼びつけて、「お前が頼んだから、借金を帳消しにしたのだ。わたしがお前を憐れんだように、お前も自分の仲間を憐れむべきではなかったのか」と言って、1万タラントンの借金をすべて返済するまで牢に入れたのでした。

神の無限の赦しは、その“赦しの無限の憐れみ”の故にこそ、“人間同士の赦しを拒む者”には、“怒り”となって現れるのです。私達に対して、無限の赦しを与えて下さる神様が、“お怒りになる時”があるのです。それは、「無限の赦しを与えられた者が、より小さい負債を負った者の赦しを拒む時」なのです。イエス様は、次の言葉で締め括られました、「あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、私の天の父も、あなたがたに同じようになさるであろう」と、仰いました。
 
もし、人の過ちを赦すならば、私達の天の父も、私達の過ちを赦して下さいます。本来のわたしたちは、人を赦すことのできない人間でした。そういうわたしたちを、神様は、洗礼を通して、作り変えて下さいました。かつての罪の内に居たわたしどもが、新しく生まれ変わり、聖霊による新しい命が臨む時、その聖霊は、和解を実現させる赦しの霊として、働くのです。




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