説教

2015年6月14日

私はなぜ献身したか
立石賢治


使徒言行録 20 章 21-24 節




私はキリストに反対でしたけれども、家内がキリスト教徒でありました為に、二人の仲は非常に気まずい関係にありました。そういう時に、大学へ行っていた一人息子が亡くなりました。家内は、私に心が通じませんでしたので、息子に期待をかけていたところでありますが、息子を死なせて、非常に激しい嘆きの中にあり、家庭の中が非常に暗い状況にありました。

それで私は、かつて考えていた店、直売店を持ちたいと考えていましたので、それに力を入れ、暗く、希望を失った家庭を建て直したいと思い、全力を傾けたのです。宝石店を作り、絨緞、照明などを販売して、最高の店を作りたいと考えました。銀行から借りれるだけ借り、個人からも借りて、店を出しました。
 そういう、この店が、一夜にして、貰い火で、火災に遭ってしまったのです。今の南二条の辺りでした。死者が4名も出るという、消防士も犠牲になる大火でした。私の店は跡形も無く燃えてしまったのです。消防士のお悔やみのために消防署へ参り、家に帰りましたら、その後は、どうにもならなくなるということで、家に帰るなり、絶望でばったり倒れてしまったのです。

その時に、キリストの使者であると言って、救世軍の伊藤さんが見えられました。そして「私は神を信じないで、家内はキリスト教徒である」と申し上げたら、それならば私の家に来なさいということでした。家内と一緒に訪ねたら、聖書のお話をされたのです。教会に行って聖書を勉強したい、と言って、当時、家内が行っていた北光教会へ行きました。ちょうどそこで、御二方の証しを聞くことが出来ました。

お一人は、白洋舎の初代社長のお話しです。飲んだくれで、どうにもならない呑兵衛で、無銭飲食をしてタコ部屋に入れられて、そこで殺される。働かされてどんどん死んでゆく。そこを逃げ出して、掴まれば殺される。そこで、ちかくの家へ飛び込んだら、そこが、小樽の洗濯屋さんだった。見てたら、着ているものを新しくして貰って、お礼を言ってお金を置いて行く。

非常に感激して、東京に帰り、洗濯屋を始められた。そしたら、今や、全国に何百という営業所を構え、何千人と言う青年が働いている。教会に帰って、できるだけの奉仕をしたいとのことであった。

もう一人の方は、目の見えない方でありまして、その方は、目が悪くなって、18歳の時に、完全に失明しました。そして母親に、どうしてこのように生まれたのか、と言って、母親を嘆かせていた。その方がクリスチャンの女性と知り合いになり、その方を通してマッサージを教えるようになった。そして、盲学校の看板を掲げて教えていたところ、ヘレン・ケラーが北海道へ来た。そして、このようなことは、個人で行うべきではない、国で行うべきであるということであった。そして、この盲学校は道立盲学校となり、その方が校長となって定年まで勤められた。その後、退職金を投じて、私たちが、近づけないほどの働きをなさいました。

私は、このお二人のお話を聞いて、「あゝ、このようなことで、自分は、弱ってはおられない。」と思い直し、今日、教会に行って、洗礼を受けさせて頂くようになりました。









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