説教

2015年4月5日

死より強い方
大坪章美


マタイによる福音書 28 章 1-10 節




イエス様が朝の9時頃に十字架につけられて、3時間程も時間が経ちました。人間の行いが余りにも悪いので、神様は、もう全ての人間を滅ぼしてしまうしか道は無いと人間にとっては絶体絶命の所まで来ていたのですが、唯一つだけ、人間の積もり積もった悪い心を神様が赦して下さる方法が残っていたのです。神様は独り子であるイエス様が責任を取って、人間の総ての罪を赦す事と引き換えにご自分の命を捧げるのであれば、人間の総ての罪を赦そうと決心されたのでした。

神様を怒らせた、人間の罪とは何のことでしょう。それは神様に背く事です。神様に背く事とは、神様がおられることを認めない事です。自分が一番偉いと思う時は、神様を認めていません。神様以外のものを拝む時も、神様を認めていません。そして、神様の言葉を守らない事も、罪になります。イエス様は、「みんな、互いに愛し合いなさい」と言われました。教会のお友達と仲良くしない事も罪になります。でも、私達は、つい、自分が一番偉い、と思ったり、お友達と仲良く出来ない時が無いわけではありません。わがままを通そうとする時もあります。そうすると、私も、皆も、罪人です。神様に滅ぼされても仕方がない人間です。

このような私達を、イエス様は、ご自分が、十字架の上で死ぬことによって、神様が、わたしたち人間の罪を赦して下さるようにしようとされたのです。

昼の12時頃、雲も無い程晴れた日なのに、辺りが暗くなってきました。そして、更に3時間が経った、午後3時頃、イエス様は、十字架の上で息を引き取られたのです。イエス様のご遺体は、アリマタヤのヨセフという人がローマの総督ピラトから受け取り、岩に掘った自分の新しい墓に納めて、墓の入り口には大きな丸い石を転がして蓋をして立ち去りました。ご遺体が納められた墓の前には、イエス様に救われたマグダラのマリアとイエス様の母のマリアが座っていました。

安息日が終わるのを待ちかねていた、2人のマリアは、今朝、イエス様が死なれてから三日目の朝早く、イエス様のご遺体が納められた墓を見に行きました。

三日前にイエス様が墓に入れられる時、体を拭ったり、香油を塗ったりする時間も無く、とりあえず、新しい墓に入れられるのを見ていましたので、イエス様の体をきちんと拭って、香油を塗り、葬りの準備をする為に、墓へ急いでいたのです。そしてイエス様の墓に到着したら、驚くような事が起こりました。大きな地震が起きて、マリア達が見ていますと、神様の御使い、天使が降って来て、マリア達が道々心配していた、墓を塞いでいた大きな丸い石を転がして、その上に座ったのです。2人のマリアが驚いて、足がすくんで動けないでいると、天使の声が聞こえてきました、「恐れることは無いよ。あなた達が捜しているイエスは、死と戦って勝利されて、前から言われていたように、復活してガリラヤに行っておられるよ」と告げたのです。

そして、天使が、「さあ、急いで行って、弟子達に告げなさい」と言われたので、唯、「イエス様は生きておられる」という喜びに包まれて、早くペトロやヨハネに伝えて、喜びを共にしたいと思って駆け出しました。

今まで、「死ぬ」ということは、「すべての終わり」と考えていた2人のマリアは、嬉しくなりました。「人間が死ぬ、ということは、終りではないのだ。また、始まるのだ」。婦人たちが、嬉しくなって、更に足を速めていますと、行く手にイエス様が現れて、「お早う」と言われたのです。それは、2人のマリアが一瞬も忘れたことは無い、イエス様のお声でした。迷わず、イエス様の足にすがり、その前にひれ伏しました。

こうして、弟子たちも、そしてわたしたちも、「イエス様は、ご自分が、人間の悪い行いの責任を全部引き受けて下さった。神様は、そのイエス様を、死から甦らせて下さった。イエス様を信じる者は、同じように、死から甦る」ということが分かったのです。

今日、週の初めの日曜日は、イエス様が復活された記念の日です。死を滅ぼされたイエス様に、感謝を捧げる日です。わたしたちも、この大きな喜びを、沢山の人に、伝える者になりたいと思います。



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