説教

2015年1月25日

あなたの心が生きる所
大坪章美


マタイによる福音書 6 章 19-24 節



イエス様は今、山上の説教と呼ばれている、一連の教えを語っておられるところです。マタイは、19節からは、視点を変えて、ユダヤ教の社会だけではなく、人類全般に係る問題についての、イエス様のお言葉を記しています。それは、“富”の問題でした。イエス様は、まず仰いました、「あなたがたは地上に富を積んではならない」と、戒められました。「富を積む」ということが、どのような行為であるか、と申しますと、“富”は“財産”を意味します。「財産を築き上げる」ことは、「自己を拡大する」という行為に外なりません。そして、この、「自己拡大」の行きつくところは、「人を支配すること」に繋がって行くのです。

しかし、わたし達は、現実に、多かれ少なかれ、いくらかの財産を所有しているものですが、イエス様は、これを、どのようにすれば良いと、仰っているのでしょうか。その答えは、20節にあります、「富は、天に積みなさい」と仰っています。では、「天に富を積む」ためには、どうすれば良いのでしょうか。マタイは、具体的な行為を示すことなく、21節にありますように、「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」、というイエス様のお言葉だけを記しています。

人間は、「自分の富、財産があるところ」に、最も関心を持ち、心を惹かれます。簡単に申しますと、「あなたの心は、どこで生きるのか」という問題なのです。次のような、質問があります、「あなたは財産をどこに置いていますか?」。ある人は答えます、「わたしはタンス預金です」。他の一人は答えます、「わたしは、銀行の貸金庫です」。そうしますと、タンス預金の人の心は、タンスの中で生きているのです。貸金庫の人の心は、銀行の貸金庫の中で生きているのです。イエス様は、「富は、天に積みなさい」と言われています。「天に富を積む」ということは、神様の御心に適う生き方をすることです。それによって、主なる神様がおられ、キリスト・イエスが大祭司としておられる天で、その人の心も、晴れ晴れと生きているのです。

イエス様は、「富」について、三つの譬えを話されています。一つ目は、「天に積む富か、地上に積む富か」の問題についてでした。二つ目にイエス様は、「外からの光と、内なる光」との問題について語られます。「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い」と、言われています。地上に富を積む事に心を奪われていれば、心の目が濁り、外からの光が遮断されて、全身が暗くなるのです。人は、「天に富を積む」事によって、心の目が清くなり、澄み渡り、それによって、外からの光が全身を明るくするのです。そして、「外から射し込む光」とは、キリスト・イエスの到来の事なのです。

そして「富」についての三つの譬えの最後に、マタイは、「神と富」についての、イエス様のお言葉を記しています、24節です、「だれでも、2人の主人に仕えることは出来ない。一方を憎んで、他方を愛するか、一方に親しんで、他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに、仕えることは出来ない」と仰いました。「富を地上に積む人」は、実際には、「富」という偶像の支配のもと、その奴隷にされているのです。このような、「富に仕える」という偶像崇拝からは、何とかして、離脱しなければなりません。

マタイは、外から私達の体に射し込む光であるイエス様によって、澄んだ心の目を通して、全身を隈なく照らして頂き、私達の内に潜む暗闇を追い払って頂くことこそ、富の支配からの解放があり、天に富を積む者となるであろう、と言っているのです。言い換えますと、神の支配のもとに入れて頂くことによってのみ、人は、「富」の支配から離脱することが出来るのです。

マタイが記したイエス様のお言葉、「富は、天に積みなさい」という教えは、わたしたちの存在の全て、関心の全てを、天に集中すること、「わたしたちの心が生きる所は、天のみにあり」という思いを持つことです。それは、「神より賜る恵みに、全てをお委ねする」生き方に外なりません。今週も、恵みに勝る富はない、という思いをもって歩みたいと願っています。



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