説教

2014年12月14日

約束された救い主の誕生
大坪章美


マタイによる福音書 1 章 18-24 節




マタイによる福音書1:1節の言葉、「イエス・キリストの系図」の、「系図」という言葉は、元のギリシャ語では、ビブロス・ゲネセオスと記されています。この、マタイが福音書の冒頭に掲げた言葉、ビブロス・ゲネセオスという言葉が、旧約聖書、創世記の2:4節にも、出て参ります。そこには、主なる神様が、六日間で天地万物を創造され、七日目に安息を取られた事が語られた後、「これが、天地創造の由来である」と記されています。この、「天地創造の由来」の「由来」という言葉が、やはり、ビブロス ゲネセオスなのです。

マタイは、「キリスト・イエスの誕生の由来」を、旧約聖書の、「天地創造の由来」と同じ位置に置いて、福音書を書き始めているのです。彼は、旧約のアブラハム以来の、二千年にも及ぶ長い歴史の中に、確かに、キリストの出現を目指して進み続ける“神の摂理”を、見ていたのです。二千年にも亘るイエス・キリストの系図を目にした時、わたしたちは、その時の長さに圧倒されると共に、その連綿として、途絶えることなく紡がれてきた不思議さに心を打たれます。神様の恵みは、何ものにも制約されることの無い、完全な自由の中で、祝福の担い手を、その時々に起こされました。そして、この度、マタイが掲げた系図の最後の人として、ダビデの血筋を引くヨセフが、「神の選び」の対象となって、重大な使命を託されようとしていたのです。

その時、マリアは、ヨセフと婚約していた、と記されております。マタイは1:18で、「母マリアは、ヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身籠っていることが明らかになった」と記しています。この書き方は、どう読んでも、「不利な事が明るみに出てしまった」という意味にしか受け取れません。何故なら、「身籠っている事が明らかになった」という言葉を直訳しますと、「身籠っている事が見出された」と、受身形で表されている事からも分かります。
 問題は、夫ヨセフが知らなかったこと、でありました。婚約中の妻マリアが身籠っている、と分かった時の、ヨセフの驚愕振りがわかる気がします。

19節には、「夫ヨセフは、正しい人であったので、マリアの事を表ざたにするのを望まず、密かに縁を切ろうと決心した」と記されています。ヨセフは、妻マリアのことを、表ざたにするのを望まなかったのです。ヨセフにとっては、妻マリアが身籠った理由が、皆目分かりません。このように思い悩んでいたヨセフの目の前に、信じられないことが起きました。20節には、「このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は、聖霊によって宿ったのである』」と、記されています。この天使のお告げを聞いたヨセフは、決して、喜べませんでした。ユダヤ教の伝統の中に、「乙女が身籠って男の子を産む」ということが期待されるような可能性は全く無かったのです。

このように、主の天使のお告げを受け入れかねているヨセフにとって、二つ目の、信じられないことが起きていました。マタイが22節に引用した、聖書の預言、イザヤ書7:14節です。そこには、「今、身籠っている若い女が男の子を産むと、その子の名前を、インマヌエルと名付けるであろう」と、記されています。マリアの夫ヨセフも、当然、このイザヤ書を知っていたでありましょうが、このイザヤ預言が、「乙女が身籠る」と言う風には理解していなかったでありましょう。

しかし、このヘブル語の聖書を、七十人訳聖書と言ってギリシャ語に翻訳されたものが、紀元前1世紀頃に完成していました。そして、この七十人訳聖書のイザヤ書7章14節を見ますと、「見よ、乙女が身籠って男の子を産む。」と、翻訳されていたのです。この、七十人訳が完成して、「乙女が身籠って男の子を産む」という預言が為された後に、マリアのお腹に、「聖霊によって、男の子が宿った」という事実も、まさに、神の摂理、神のご計画としか、考えようがありません。

来週は、、御子イエスキリストの御誕生を記念する日です。私達の罪を赦して下さり、永遠の命を与えて下さる救い主のご降誕を共にお祝いいたしましょう。




前のページへ戻る