説教

2014年8月24日

神の畑、神の建物
大坪章美


コリントの信徒への手紙一 3章 10-17節



パウロは、教会内に分裂を齎した問題の原因を知っています。それは、コリントの信徒たちが、未だに“神の霊”を受けていないことを物語っています。彼らは、この世の基準に従って、判断し、行動し続けているのです。「自分はパウロに、自分はアポロに」という叫びが聞こえるところでは、この世の思いが支配しているのであって、“神の霊”は支配していない、つまり、彼らは、この世の肉に支配された人間に過ぎない、と言っているのです。それでは、“神の霊”が支配する教会とは、どんな教会なのでしょうか。それは、“神に属する教会”のことです。その教会は、神ご自身が教会を存続させ、また、神ご自身が裁かれるでしょう。

ここで、パウロは、“神の霊が支配する教会”を、三つの譬えを用いて語っています。まず第一に、教会を“畑”に譬えています。6節では、「わたしは植え、アポロは水を注いだ。然し、成長させて下さったのは、神です」とパウロは言っています。パウロとアポロという農業労働者は、神からの指示と能力を与えられなければ、何の役にも立たず、種を芽生えさせる事も出来ないのです。つまり、神のみが作物に命を与え、成長を与える方なのです。パウロが9節で、「わたし達は、神の為に力を合わせて働く者であり、あなた方は、“神の畑”、“神の建物”なのです」と言っている通りです。
 そして、「あなたがたは、神の建物です」という言葉が、第二の譬えなのです。神様は、まず、コリントの教会を畑として耕し、種を植えさせ、水を注がせて、豊作を齎すものとされました。そして次に、神様は、ここに奉仕者たちを用いて、キリストの体としての、教会を建てようとされるのです。10節でパウロは、「わたしは神から頂いた恵みによって、熟練した建築家のように、土台を据えました」と言っています。ここには、重要な言葉が並んでいます。パウロが土台を据えたのは、「神から頂いた恵みによって」、つまり、「神からの委託による」ことを表しています。

そして、この、“据えられた唯一の土台”は、イエス・キリストです。私たちは、“十字架に付けられたキリスト”が、教会の土台であることに気が付きます。キリスト・イエスが土台である以上、その上に立つ建物の構造は、土台の様式と一致していなくてはなりません。

パウロは、この、神の恵みによって据えられた、教会の土台の上に、家を建てる場合の注意を喚起します。「誰かが、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てる場合、各々の仕事は明るみに出されます。かの日には、それが、明らかにされるのです」と、記されています。

最後の審判の日には、全てが火で試されます。キリストの土台の上に、「金、銀、宝石」で家を作り、信徒の信仰を強め、希望を語り、愛を深くする教会を建てる指導者は、裁きの火で焼かれても、その火に耐えることが出来るのです。逆に、「木や草、藁」を用いてキリストの土台の上に教会を建て、信徒の行いには熱心さが無く、罪を退ける努力もなく、正義を歩む気概も無いような教会にする指導者は、裁きの火に耐えられません。焼け落ちて、胡散霧消してしまうに違いありません。「金、銀、宝石」を用いて教会を建てる者は、報いを受ける事になります。そして、「木、草、藁」で教会を建てる者は、裁きの火に、全てが焼け落ち、報いを受けるどころか、損失を蒙ると記されております。

そして、パウロは、教会を建てあげる業の三つ目の譬えを話します。「あなた方は、自分が神の神殿であり、神の霊が、自分達の内に住んでいる事を知らないのですか」と、言っています。コリントの教会が、神聖な神の神殿であり、神の御霊がその中に宿っている、と言うのです。そして、パウロは、厳しい言葉も語っています、17節です、「神の神殿を壊す者がいれば、神は、その人を滅ぼされるでしょう」と言っています。パウロは、教会を堕落させたり、傷つける者、教会を自らの傲慢や、虚栄心を満足させる場に変える者は、神の裁きに遭うであろう、と言っているのです。

私たちは、この神の畑であり、建物であり、また神殿である教会の中で、御旨に従って歩むことにより、キリストの復活の力を頂き、高められていくのです。




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