説教

2014年6月29日

祈ってください
久世 そらち


エフェソの信徒への手紙二  6章 18-20 節



「すべての聖なる者たち(18節)」とは、共に主につながっている信仰者たちのことです。わたしたちは、自分のことだけでなく、「すべての聖なる者たちのために」、つまり共に主につながる兄弟姉妹のため、他の教会のために、根気よく祈り続けるようにと促されているのです。

この祈りを勧めることばの前に、信仰の心構えを兵士のいでたちになぞらえたことばが記されています。当時のローマの兵士たちは、ひとりで戦いに臨んだのではなく、よく組織された集団として戦場に立ちました。強いきずなで結ばれ、隣に立つ兵士と常に互いを楯でかばいあって守り、各部署を補いあい支えあって、力を発揮していったのです。ですから、この兵士のたとえを読むときには、ひとりで戦う兵士の姿ではなく、戦列をなして共に戦場に臨む一団の兵士たちの姿を思い浮かべるべきでしょう。

私たちの信仰の戦いもまた、ひとりひとりの個人として、それぞれが孤立して戦っているのではないのです。ひとつの信仰の戦いを共に戦うものとして、互いに助け、かばい、支えあって、共同の戦いに臨んでいます。部署は違い役割は違うとしても、同じ主に従う信仰者たちと、あるいはまた他の諸教会とも、同じひとつの戦いを共に戦うのです。

そのように、ひとつの戦いを共に戦うものとしてのきずなが、互いに祈りあうことです。わたしたちは互いに祈りをもって結び合い、この世での戦いに臨むのです。

さて、19〜20節では、「わたしが・・・福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください。わたしはこの福音の使者として鎖につながれていますが、それでも語るべきことは大胆に話せるように、祈ってください」と記されています。福音の使者である牧師のために祈ってください、という意味に受けとっていいでしょう。

軍隊になぞらえるなら、牧師のつとめは、司令官のことばを兵士たちに伝える「使者」「伝令」にあたるでしょう。教会の主であるキリストのみことば、福音を、すみやかに正確に伝えるのが、牧師のつとめです。

日曜ごとの礼拝説教において、牧師は、自分のことばではなくて、教会の主、つまり司令官であるキリストのことばを忠実に伝えなければなりません。日々信仰の戦いを戦っているご自分の群れに、キリストは何を語り、何を命じ、何を示しているのか、牧師は忠実に聞き取り、正確に伝えなければなりません。

しかしそれはつらいつとめです。自分のことばを語るならむしろ簡単です。伝令は、ときには自分の身の丈をこえた、分にすぎたことばを伝えねばなりません。しかも、その伝えることばにみずから主の兵士のひとりとして忠実に従っているかどうか、つねに問われます。そのつらさに、ともすると、伝えるべき主のことばを自分にあわせて小さくゆがめたり、自分のことばで薄めてしまったりする誘惑に陥りかねません。

だからこそ、使者である牧師のために、牧師がほんとうに適切なことばを、福音を大胆に示すことができるように、語るべきことを大胆に話せるように、祈ってほしいのです。

きょう、札幌中央教会は、按手礼を受け日本キリスト教団の正教師となった大坪章美先生を、あらためて牧師として迎える就任式を行います。どうか、牧師のために、すべての聖なる者たちのために、そしてまた、「わたしのためにも祈ってください」。



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