説教

2014年1月5日

神の真実
大坪章美


テサロニケの信徒への手紙二 3章 1-5節




今日お読み頂いた3:1節で、パウロは、「兄弟たち、私たちのために祈って下さい」とテサロニケの信徒たちへ、執り成しの祈りを求めています。何を祈って欲しいのかと申しますと、次に記された二つの事です。
ひとつは、「主の言葉が速やかに宣べ伝えられ、崇められるように」祈り続けて下さい、と願っています。
また、もうひとつの目的は、「わたしたちが、道に外れた悪人どもから逃れられるように、祈って下さい」と願っています。これは、当時、パウロ、シラス、テモテが滞在していたコリントの町において、福音の忠実な証人であろうと志していた時、さまざまな危険が襲っていたことを窺わせます。「道に外れた悪人ども」とは、コリントで、パウロをさんざん苦しめたユダヤ人たちであったことに、疑いの余地はありません。事実、使徒言行録の18:5節には、「シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロはみ言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対して、メシアはイエスである、と力強く証しした。然し、彼らが反抗し、口汚く罵ったので、パウロは服の塵を払って言った。『あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任が無い。今後、わたしは、異邦人の方へ行く』」と、記されている通りです。

このように、パウロは、自分たちの身の安全を求めて、テサロニケの信徒たちへ、共に祈ってくれるよう、執り成しの祈りを心から願いましたが、これも、つかの間のことでありました。パウロの心は、直ちに、再び、彼にとっての最大関心事、つまり、異なった教えに翻弄されているテサロニケの信徒たちが、忠実に信仰を守る有り様を見たいという願望に戻ってゆきます。

そして、このパウロの願望は、第一には、主なる神様の力の確認と、第二に、テサロニケの信徒たちの信仰への確信、によって成就します。まず、第一の、「主なる神様の力の確認」は、3節、「然し、主は、真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守って下さいます」という言葉に表われています。信仰の無い、キリストの福音に敵対する者達の力に、怯むことはないのだと言っておられるのです。何故かと申しますと、「主は、真実な方だから」と言うのです。ここでの、「神の真実」は、「神は信頼に値する」という意味です。パウロは、「主が、真実である」という現実に、一切を託しています。不誠実な者によって、神の誠実が無にされることはない、と断言しています。ローマの信徒への手紙3:3節で、ユダヤ人に関して、「彼らの中に、不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでも言うのですか。決して、そうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は、真実な方であるとすべきです」と記しています。

そして、パウロの願望の第二、「テサロニケの信徒たちの信仰への確信」について、パウロは4節で述べています、「わたしたちが命令することを、あなたがたは、現に実行しており、また、これからも、きっと実行してくれることと、主によって確信しています」と、記しています。神は真実な方であり、ご自分に信頼する者達のうちに始められた働きを、完成して下さいます。

パウロは、3:1節で、「終わりに兄弟たち、わたしたちのために祈って下さい」と、テサロニケの信徒たちへ、祈ってくれるよう願いました。然し、今に至って、パウロのテサロニケの信徒たちへの思いは、祈りとなって現れます、「どうか、あなたがたに、神の愛と、キリストの忍耐とを、深く悟らせて下さるように」と祈っています。パウロは、主がテサロニケの信徒へ、神の愛と、キリストの忍耐とをお与え下さるように乞い求めています。
神の愛とは、神が所有され、神が与えられる愛であり、キリストの忍耐とは、キリストが要求され、お授けになる、如何なる迫害にも耐え得る心のことです。
「主は真実な方です」。神の真実は、人の忠実を激しく求めます。従って、神を愛し、その戒めを守る者に、千代に亘って契約を守られ、慈しみを注がれるのです。「神の真実」を「まこと」とする、即ち「確実なもの」とする、そのような係わり方が信仰の在り方です。




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