説教

2013年11月17日

信仰による服従
大坪章美


ローマの信徒への手紙 1章1-7節




この手紙の書き出しは、パウロの他の手紙と同じように、挨拶文から成っていますが、他の手紙と違って、長い挨拶文であることに気がつきます。この手紙に限って挨拶文が長くなっていますのは、他の手紙の場合と異なって、ローマの教会は、パウロが建てた教会ではないために、まず、自分自身を紹介する、自己紹介の必要があったからです。最初の1章1節で、パウロは自己紹介をしています。この書き出しの部分を、原典の文字通りに並べて、直訳いたしますと、「パウロ、奴隷、キリスト・イエス、神の福音のために選び出され、召された使徒」という訳になります。パウロが、未だ会ったこともないローマのキリスト信者に対して、キリストに選ばれた使徒として、権威をもって、自分の名前を真っ先に記して、然も謙虚に、自らを奴隷として自己紹介していることが、分かります。

日本語に翻訳された言葉は、「キリストの僕」でありますが、直訳は、「キリストの奴隷」となります。パウロが、「キリスト・イエスの奴隷」と自己紹介していますのは、「自分は、もはや、人のものでも、いわんや自分のものでもない。キリスト・イエスのものである」と考えているからです。パウロは語っています、「この福音は、神が既に聖書の中で、預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです」と記しています。

パウロが言うには、「福音」つまりイエス・キリストの出来事は、久しい昔から、神が地上に遣わされた預言者達によって、予め約束されたことなのであって、彼らの預言は、旧約聖書の中に書き留められていると言うのです。ですから、福音、つまりイエス・キリストの出来事は、預言の成就であり、神の約束の実現なのです。従って、「神の福音」は、何人も疑うことの出来ない、旧約の権威を踏まえて、立っているのです。

パウロは、既に、「この福音は、御子に関するものです」と記していました。そして「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって、力ある神の子と、定められたのです。」と語っています。

まず、「肉によれば」と申しますのは、「弱さと、脆さと、不完全さ、を持つ人間性全体」を意味しています。まさに、イスラエルの民が待ち望んでいたとおり、ダビデ王の血統よりうまれました。パウロは、イエス様が、イスラエルに待ち望まれたメシア預言の成就であることを示しているのです。然し、ダビデ王の子孫であるということをもって、“神の子”と認定することにも問題はありました。そこで、パウロは、続けて言っています、「聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって、力ある神の子と定められたのです」と付け加えているのです。最終的に、「力ある神の子と定められた」のは、「聖なる霊によって、死者の中からの復活」を、遂げられたからなのです。このように、“死”の力を破られたという、アダムの堕罪以来の、人間の永遠の生命を啓示されたことによって、御子イエス・キリストは、「神の子」と、定められたのでした。

そして「わたしたちはこの方により、その御名を広めて、すべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました」と記しています。
この、パウロが神の一方的な「恵みを受けて、使徒とされた」のは何のためか、と申しますと、「御名を広めること」と、「すべての異邦人を、信仰による従順へと導くため」なのです。パウロは、ローマの信徒たちへ向かって語りかけます、6節です、「この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召された、あなたがたもいるのです。」と言っています。

パウロは、締めくくりに、ローマの信徒たちへ祝福の言葉を記しています、「神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。」と呼びかけています。そして、この呼びかけは、ローマの信徒たちだけに行われたものではありません。この札幌中央教会の私たち一同にも呼びかけています。「神に愛され、召されて聖なる者となった札幌中央教会の人たち一同へ。わたしたちの父である神と、主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」





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