説教

2013年8月18日

救い主,主イエス・キリスト
大坪章美


ペトロの手紙二 1章 3-11節




ペトロの手紙二は、紀元150年頃に書かれました。この手紙の1:1節を見ますと、「イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロから、わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義によって、わたしたちと同じ、尊い信仰を受けた人たちへ」という言葉で始まっています。しかし、シモン・ペトロは紀元64年頃、ローマ皇帝ネロのキリスト教徒迫害の頃既に殉教していました。ですから、この手紙の最初の言葉を、「シメオン・ペトロ、イエス・キリストの僕にして、使徒」と書き記した著者は、ペトロの名前の許に、この手紙を出しているのです。

これは、当時、キリストの教会を脅かしている諸々の危険に対処するために、必要なことでした。その頃、キリスト教世界に表面化していた、キリストの再臨の遅れの問題と、異端の教師たちの出現とによって、キリスト教の教えは、危機的状態になっていました。この手紙は、教会に宛てた、ペトロの遺言状という形が取られています。そして、その読者は、小アジア、今のトルコの北部、あるいは西部にある、異邦人キリスト者の教会の信徒たちでありました。

この手紙の1:3節には、「主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えて下さいました」と記しています。ということは、ペトロたちが持っている賜物は、自分の中から生み出したものではない、と言っているのです。つまり、彼らは、生まれつきのままでは、神の本質に係わることが出来なかった、ということを意味しています。然し、私たちが、神のこの偉大な賜物を受け取るには、手段が必要でした。一体、どのような手段によって、私たちは、これ程の大きな神の恵みを受け取ることができたのでしょうか。ペトロは、続けて記しています、「それは、わたしたちを、ご自身の栄光と、力ある業とで召し出して下さった方を、認識させることによるのです」と言っています。
言い変えますと、「それは、主イエスが、わたしたちをご自身の栄光と力ある業とで召し出して下さった神を、認識させることによるのです」という意味であることが分かります。そして著者ペトロは、4節において、「神は、わたしたちを召し出して下さった栄光と、力ある業とによって、わたしたちに、尊く、すばらしい約束を与えて下さっている」と述べています。
弟子たちに与えられた約束は、すべての信じる人にも該当します。そして、その約束は、信じる者たちの信仰によって、実現します。信仰深い人は、自らの聖化を体験しようとします。そうしますと、キリスト者は、自分の性格の変化を体験するでありましょうし、また、主との完全な交わりによって、栄光に変えられた体で、生活することになります。このことがキリスト者に与えられた約束でありますし、また、キリスト者の希望の目標なのです。ペトロが記しております、「尊く、すばらしい約束」なのです。

そして、この約束に対する人間の側からの応答を、ペトロは5節以下で勧告しています。ここでは、この世を支配している、「退廃」と「滅亡」の原因を、「生まれながらの人間の持つ、肉的な罪の性質」であるとして、この「罪の性質」から自由になる道筋が示されています。次にこの道筋として、八つの徳目を示しています。まず、信仰に始まって、最後に、愛によって完成します。それは、信仰、徳、知識、自制、忍耐、信心、兄弟愛、愛、の八つです。然し、これらの徳目を実践できたとして、そのキリスト者は、どのようになるのでしょう。それが、8節に記されております。「私たちの主、イエス・キリストを知るようになるでしょう」と記されています。やはり、私たちキリスト者が、持てる限りの熱意をもって追い求めるべき、最後の、最も重要な目標は、主イエス・キリストの知識です。こうして、ペトロは、「私たちの主、救い主、イエス・キリストの永遠の御国に入ることができる」と、約束の言葉を記しています。私達は、走りさえすれば、栄光の冠が保証されており、神であり、メシアであるイエス様の御国に入ることが約束されているのです。



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