説教

2013年8月11日

主イエスに与えられる信仰
大坪章美


使徒言行録 3章 11-16節




当時の敬虔なユダヤ人たちは、日に3度の祈りの時間を大切にしていました。ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、同じでした。ペトロとヨハネが、その日二度目の祈りの時刻に神殿に上って行ったとき、境内に入ると、生まれながらに足の不自由な男が運ばれてきました。

この日も、この男が、いつものように境内に入って来た人から施しを貰おうと、ペトロとヨハネに視線を向けた時でした。ペトロはこの男に、「わたしたちを見なさい」と言ったのです。
ペトロは、「わたしには金や銀はないが、持っている物をあげよう。ナザレの人、イエス・キリストの名によって、立ち上がり、歩きなさい」と言ったのです。

そして、ペトロがその男の手を取って立ち上がらせると、たちまち、その男の足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩き回ったり躍ったりして、2人と一緒に聖所に入って行った、と言うのです。この光景を見た民衆は皆、驚いて、この3人が居たソロモンの回廊と呼ばれる場所へ一斉に集まって来たのでした。ソロモンの回廊は、聖所の美しの門の外にある異邦人の庭の東側の壁に沿って内側に位置しています。ユダヤの民衆が殺到するのを見たペトロは、第二回目の説教を始めました。そして、この説教は、民衆の驚きに対する答えでありました。12節に記されております、「これを見たペトロは、民衆に言った」という言葉の直訳は、「これを見たペトロは、民衆の前で答えた」となるのです。
ペトロは、目の前に群がった群衆を前にして、第一声を発しました。「イスラエルの人たち、なぜ、このことに驚くのですか。また、わたしたちが、まるで、自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか」と答えたのです。

そして、この癒しの奇跡が起きた、真の原因を語り始めたのです。13節です、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕、イエスに栄光をお与えになりました」と言っています。「この、神の僕、イエスの栄光は、あなたたちの目の前で現実に起きた、足の不自由な男が癒されたという事実によって説明されている」と言ったのです。そして、あなたがたは、その証人ではないか、と言っています。

そしてペトロは、目の前の群衆が、最も知りたかったことについて、答えます。なぜ、あの、生まれつき足が不自由であった男が、ペトロたちの回りを躍り歩いているか、という疑問に対してです。ペトロは、「あなたがたの見て、知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前で、この人を完全に癒したのです。」と、告げています。肝心なことは、「イエス・キリストの名」だけでも、「その名を信じる信仰」だけでもないのです。この個所を、口語訳聖書では、「イエスの名が、それを信じる信仰の故に」と訳しています。ということは、癒しや、救い、あらゆる救いが成立するためには、神のみならず、人間も、“その信仰によって関係している”ということなのです。

この、「イエスによる信仰」という言葉の直訳は、「イエスによって与えられる信仰」という意味になります。言い換えますと、「イエスによって与えられる信仰を受け入れる者は、その信仰によって、イエス・キリストの名が癒やしを行い、奇跡を起こして下さる」のです。
ペトロとヨハネは、「ナザレの人、イエス・キリストの名によって」命じることにより、不治の病いを癒やす者となりました。そして、それは、イエス・キリストの名を信じる信仰によって起された奇跡でした。イエス・キリストの名を信じる信仰は、努力で手に入れられるものではありません。それは、イエス様が与えて下さる信仰なのです。私たちは、イエス・キリストを信じる信仰を持っている者として、天からの力に満たされている者として、今週も歩み続けたいと願うのです。



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