説教

2013年5月5日

復活した後ガリラヤへ行く
大坪章美


マルコによる福音書 14章 27-31節




紀元30年の、春も未だ浅い、寒さの厳しいニサンの月の14日の夜でした。イエス様は、最後の晩餐を終えられた後、11人の弟子たちと共に、オリーブ山に向かって歩き出されました。その途中で、イエス様は、突然、弟子たちが驚くようなことを言い出されました。27節にあります。「あなた方は、皆、わたしにつまずく。『私は羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう。』と書いてあるからだ。」と言われたのです。

ここでイエス様が言われた、「あなた方は、皆、私につまずく」という言葉は、「あなた方は、私の逮捕と、それに続く“十字架上の死”が妨げとなって、ひとり残らず信仰を失うだろう。」という意味でした。

然し、「あなたがたは、皆、わたしにつまずく。」と、言われた方の弟子たちは、驚愕しました。「イエス様につまずくなど、とんでもない、何ということを仰るのだろう」と、居合わせた全ての弟子たちは思いました。

そして、イエス様は、弟子たちが未だ、イエス様の突然のお言葉に驚愕して、自分たちの考えがまとまらないうちに、唐突に、次のように言われました。
28節です。「しかし、わたしは、復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」と。イエス様は、ここで何故唐突に、「あなた方より先に、ガリラヤへ行く。」などと、仰ったのでしょうか。・・・・これは、イエス様が、弟子たちを思いやる、限りない愛と憐れみから発せられたお言葉でした。イエス様には、これからご自分と11人の弟子たちの身に起こるであろう出来事が、全て分かっておられたのです。これから数時間もすれば、大勢の祭司長たちや、律法学者たちが、イエス様を逮捕しに押し寄せて来る。そのとき弟子達は、1人残らずイエス様を見捨て、我が身大事と逃げるだろう。
また、弟子達は、イエス様が多くのユダヤ人達の前で侮辱され、非難され、殺されるのを見ると、イエス様に対するこの世の望みを全く絶たれ失望して、失意のうちに故郷ガリラヤへ帰って行くしかないであろう。

そして、イエス様は弟子達の逃亡の罪も、不信仰の罪も全て赦して下さり、信仰を貫くことも出来ずに味わうであろう挫折感も、全て癒して下さって、復活の主として、再び弟子達と一つになろうとされるのです。

然し、ペトロには、イエス様が言われた、「あなた方は、ひとり残らず私につまずく」というお言葉が、どうしても、腑に落ちませんでした。
けれどもイエス様は、ペトロも、他の弟子たちをも、お叱りになることはありませんでした。この時のペトロたちの背きの罪も、これから十字架の上で、死を遂げられるまでの、弟子たちの思いも行動も、イエス様は見通されていたのです。その上で、赦して下さっているのです。赦して下さっているからこその、あの28節のイエス様のお言葉でした、「しかし、わたしは、復活した後、あなた方より先に、ガリラヤへ行く。」。

イエス様は、この後、最高法院の裁判にかけられ、十字架上の“死”を遂げて下さいました。その、イエス様の十字架上の死を遠目に見て、弟子たちは、イエス様に対する最後の望みも絶たれ、絶望と失意に、打ちのめされたのです。弟子たちは、イエス様が十字架にかけられ、死んでしまわれたことによって、イエス様に託していた望みは消え去り、信仰までも失って、これから、失意のうちにガリラヤへ戻って行くところでした。然し、イエス様は復活して、弟子たちよりも先にガリラヤへ行き、弟子たちを、再び迎えようと仰っているのです。父なる神様のお力によって復活させられたあと、“罪”と“死の力”に勝利する方として、弟子たちを迎えてくださるのです。弟子たちは、このことによって、罪を赦され、新しくされて、再び、イエス様の召しに従う者とされるのです。まさに、弟子たちにとっての、“終わり”が、“始まり”のときになるのです。絶望が希望に変わる瞬間でした。私達も、弟子達と同じように、イエス様の“十字架”と“復活”による神の恵みによって生かされています。私達は、自らの弱さの故に信仰を失ったり、隣人を傷つける等の罪を犯してしまう者ですが、そのような私達を、赦し、再び、迎えて下さり、立ち直らせて下さるのです。





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