説教

2013年2月10日

神が行く手を示される
大坪章美


使徒言行録 16章 6-10節




出エジプトの出来事が起きたのは、エジプトの第19王朝、ラムセス二世の時代で、紀元前1280年頃のことでした「イスラエルの人々は、ラメセスからスコトに向けて出発した」と記されています。ラメセスの町は、ナイル川の河口、地中海に近い場所にありました。スコトまでは荒れ野が続いていました。大勢のイスラエルの民は、このスコトで宿営し、翌朝、エジプトの東の国境を防衛する町、エタムへ向かいますが、ここを通過することが許されず、進路を南に転じて、ミクドルと海との間のピ・ハロトの手前に宿営することになります。これは、出エジプト記の14:2節にありますように、主なる神がモーセに命じられた行程なのです。

もともと、ラメセスを出発したイスラエルの民には、ペリシテ人が大勢住んでいるカナンへの主要な道路として、ペリシテ街道という幹線道路があったのですが、主なる神様は、イスラエルの民を、ペリシテ街道へ導こうとはなされませんでした。

そして、この後、ピ・ハロトの手前、海辺にあるバアル・ツェフォンに宿営してたイスラエルの民に、一旦は解放すると約束したラムセス二世は考えを一変させて、戦車を馬につなぎ、自ら軍勢を率いて、選り抜きの戦車六百と、エジプトの戦車すべてを動員して、追撃を開始したのです。

エジプト軍が、イスラエルの民の背後に襲いかかろうとした時、主はモーセに言われました、14:16節です、「杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は、海の中の乾いた所を通ることができる」と、命令されたのです。こうして、葦の海の奇跡が行われたのでした。

この、モーセが神様から与えられた使命に、良く似た経験をした主の弟子がいたことを私たちは知っています。それはパウロとその一行でした。

紀元49年の頃のことです。その頃、シリアのアンティオキアの教会に居たパウロは、思い立って、第二次伝道旅行に出かけることを提案するのです。

パウロは、第一次伝道旅行の折りに立ち上げた各教会を再び訪問して、力づけたいと思っていたのでした。第一次伝道旅行の際は、船で出発したのですが、今回は、陸路を通ってキリキア州へ入りました。キリキア州に入って、デルベ、ルステラと、前回訪問した町に立ち寄って、教会の信徒たちを励まし、力づけたのです。しかし、6節に、「彼らは、アジア州で御言葉を語ること聖霊から禁じられたので、」とありますように、パウロ一行は、前回訪問したピシディアのアンティオキア教会を境に、そこから西へは、一歩も行くことができなくなりました。パウロは、アンティオキアから更に西にある、アジアの諸教会を目指していたものと思われます。然し、聖霊がそれを許さなかったので、方向を西から北西に変えて、フリギア、ガラテア地方を通って行ったと記されています。そしてミシア地方の東側にありますビテニア州に入ろうとしたのですが、再び、上よりの力によって、方向転換を迫られたのです。一行は、やむなく、そのまま北西へ向かわざるを得ませんでした。そして、小アジアの最も北星にあって、エーゲ海に面したトロアスの町に到着しました。

そして、その夜、パウロは幻を見たのでした。9節です、「幻の中で、1人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けて下さい』とパウロに願った」と言うのです。三度目の、神の使いでした。パウロの目には、マケドニア人がキリストの福音を求めて叫んでいると見えたのでした。そして、時をおかず、パウロたち一行は、トロアスの港を船出して、翌日マケドニアへ上陸したのです。キリストの福音が、アジアからヨーロッパにもたらされた最初の日でした。

モーセがラメセスを発ったときも、主なる神様は、ペリシテ街道に出ることをお許しにならず、荒れ野のスコトへ向けて進むよう導かれました。苦しい道のりでしたが、これにより葦の海の奇跡が起こり、約束の地カナンへ到着することができました。

パウロたちも、自らの意志を神の霊に妨げられましたが、霊の導きに従うことにより、夢にも思わなかった世界伝道への足掛かりを作ることができたのです。

わたしたちの、地上での歩みの中で、神のご意志が示されることがあります。それは、決して、私たちにとって、心地よい、嬉しい道ではないかも知れません。然し、神のお導きを確信したら、祈って従いましょう。苦しい道のりかもしれません、が、それは、神様が行く手を示され、共に歩んで下さる道なのです。












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