説教

2012年12月16日

神の愛とキリストの忍耐
大坪章美


テサロニケの信徒への手紙二 3章 1-5節



テサロニケの信徒への手紙は、パウロが書き残した手紙の中でも、最も早い時期に書かれたものであります。パウロがこのテサロニケ市を訪れたのは、紀元49年に始めた第二次伝道旅行の途上のことでした。パウロたちがヨーロッパに福音をもたらした意味は、テサロニケに来てはじめて、その成果を発揮し始めた、と言えます。パウロは、テサロニケの町に、3回の安息日、つまり21日間ほどしか滞在しませんでした。しかも、それだけの短い期間に、パウロは、相当な規模の教会を建てていたのでした。然し、この成功がユダヤ人たちを怒らせてしまい、パウロたち一行はとるものもとりあえず、ベレアへ逃れ、パウロはアテネまで行って、シラスとテモテを待つことになりました。そして、その時、パウロは、この僅かな日数で起ち上げたテサロニケの教会が、その後、どうなったのかが、心配でなりませんでした。そこへ、テモテがアテネに到着して、パウロに良い報告をもたらしたのです。パウロに対するテサロニケの人々の好意は、依然と少しも変りなかったし、堅い信仰に立っていた、というのでした。

しかし、気になる報告もいくつかありました。パウロは、テサロニケの信徒たちに、イエス・キリストの再臨について述べました。イエス・キリストが再び来られる時、全ての者が裁きの座に着き、キリストに従う者は救われるという約束です。この教えを誤解した信徒たちは、「既に主の日は来た」、と触れ回る終末論的熱狂主義者に惑わされて、働くことを止め、あらゆる日常の仕事を放棄して、ただ、再臨を待ち望むという行動を取るようになっていたのです。

このようなテサロニケの信徒たちの状況を、テモテの報告で知ったパウロは、恐らく紀元50年頃、コリントに到着して間もなく、テサロニケの信徒への手紙一を書いたのでした。そして4:15節では、「主の言葉に基づいて、次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りに就いた人たちより先になることはけっしてありません」とパウロは記しています。この部分が、テサロニケの信徒たちの日常生活に、異常な行動を取らせる原因となったのです。「主が来られる日まで生き残るわたしたち」と言う言葉によって、テサロニケの信徒たちは、「パウロが生きている間に、終末が来る」という読み方をして、ある者たちは、気が動転して、恐怖に陥ったと思われます。

そこでパウロは、第一の手紙が書かれてから間もない時期に、第二の手紙を書き送ったのでした。それは、第一の手紙によって、気が動転して、怠惰な生活を送るようになったテサロニケの信徒たちの誤解を解くことが主な目的でした。第二の手紙の2:2節には、次のように書かれています。「霊や言葉によって、あるいはわたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して、慌てふためいたりしないでほしい」と諭しています。そして、その根拠を続けて記しています、3節です、「何故なら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり滅びの子が出現しなければならないからです」と言っています。
パウロは、このように、テサロニケの信徒たちへ、終末の日の到来時期について、彼らの誤解を解く言葉を記しました。そして、いよいよ、最後の言葉を記します。3:1節です、「終わりに、兄弟たち、わたしたちのために、祈って下さい」と記しています。

そしてパウロは、最後に、「どうか主が、あなた方に、神の愛とキリストの忍耐とを、深く悟らせてくださるように」と、今度は、テサロニケの信徒たちのために、祈りを捧げています。

パウロが、テサロニケの信徒たちに書き送った3:5節の祈り、「どうか主が、あなた方に、神の愛とキリストの忍耐とを、深く悟らせてくださるように」という祈りは、まさに、神の恵みの選びによる、神の愛でありました。私たちキリスト者は、心に神の愛を受け、日常の生活にキリストの忍耐を与えられて、どのようなときにも動揺することは無いのです。




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