説教

2012年1月8日

譬え話を正しく聞く
大坪章美


マルコによる福音書 4章21-25節


預言者ミカは、紀元前8世紀後半に活躍した人物です。預言者ミカが活動した頃は、大国アッシリアが、シリアとパレスティナにまで支配権を及ぼしていた時代でした。ミカは2章の冒頭で、“あゝ”と悲嘆の声を上げています。1節では、災いあれ、と呪いの言葉を吐いています。誰に向かっての言葉かと申しますと、良心のかけらもないエルサレムの大地主たちに対する言葉なのです。預言者ミカは、大地主たちの無慈悲な行為を、2節で具体的に描き出します。「彼らは貪欲に畑を奪い、家々を取り上げる」と非難しています。

そして、神の裁きの預言が始まります。4節の「その日」というのは、3節の終わりにある、「これはまさに、災いのときである」という言葉に繋がっています。隣人を顧みず、自己のみの富を増やそうとする大地主たち、これら民を抑圧する者は、イスラエルの民全体に襲いかかる破滅の責任を負っているのです。無慈悲な大土地所有者が、飽くなき自己の欲望によって、他人の土地を掠め取った結果、それらの土地も含めて、イスラエルの地が、外国の征服者によって滅ぼされてしまうであろうとの預言なのであります。

これらの裁きの発端は、預言者ミカが2:1節で預言した、「災いだ、寝床の上で悪を企み、悪事を謀る者は」と名指しで非難された、エルサレムの大土地所有者たちでした。彼らは、策略を弄してでも、無慈悲に、人々の土地を手にいれるのでした。

このような、悲惨な預言者ミカの時代とは対照的に、マルコが著わした福音書4:24節で、イエス様は仰っています、「あなたがたは、更に自分の量る秤で量り与えられ、更に沢山、与えられる」と言われているのです。イエス様は、まず、21節で、「ともし火を持ってくるのは、升の下や、寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか」と言われました。では、イエス様が仰る、“ともし火”とは、何のことでしょうか。イエス様は、ここで、譬え話をされているようです。

これまでのイエス様のお話しの主題は、「神の国の秘密」でした。こういう話の流れの中で、イエス様は、「ともし火がやって来るのは、隠されるためではない。燭台の上に置かれて、周囲をあかあかと照らすためである」と譬え話をされたのです。そうすると、イエス様がここで話された「ともし火」の譬えは、「神の国の秘密」を指すことが分かります。つまり、イエス・キリストにあって、神の国は実現しているという事実は、いやでも明らかになるのです。多くの人々の病いを癒やし、死人を甦らされたイエス様の神の御業は、それを証ししています。

それが、誰の目にも露わな形となるのは、神の国が完成するとき、つまり、イエス様が再び、来たり給うときです。しかし、それまでにも、隠された事実は、明るみに出始めています。福音が全世界に語られ、秘められたことを、人々は知り始めています。そして、これらの譬え話を、イエス様は、「聞く耳のある者は聞きなさい」という言葉で締めくくられました。

そしてイエス様は、最後に付け加えておられます。24節です、「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは、自分の量る秤で量り与えられ、更に沢山与えられる」と仰いました。正しく聞く人には、神の恵みが増し加えられることが約束されているのであります。大きい秤で量り与えられる人には、神ご自身の意志によってさらに多くが加わり、小さい秤の人には、小さい秤で量られた上、なお削られると、注意されています。

預言者ミカが預言した、夜ごと、寝床で悪を企む者は、弱い者を犠牲にして自らの所有地を膨らませますが、結局は、国ごと、外国に征服されるという悲惨な結果を招くことになりました。

しかし、今私たちは、神の国の始まりの中に生きています。イエス様が話される譬え話を正しく聞くことによって、大きな秤で恵みを与えられ、そのうえ、更に恵みを増し加えられるという幸いの中に生きていることを感謝したいのです。



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