説教

2011年8月14日

歴史を支配される神
大坪章美


ヨハネの黙示録 4章1-11節


その当時のイスラエルは、南北2王国の体制が崩れ、南のユダ王国のみが残っていました。南ユダの王ヒゼキヤは、紀元前715年に即位しました。東の大国アッシリアと、南の大国エジプトの勢力争いの狭間で、独立を維持することは極めて困難でした。ヒゼキヤ王が即位する7年前の、紀元前722年には、南ユダ王国の同胞であった北王国イスラエルの王、ホシェアがアッシリアに謀反を企て、エジプトに近づいたので、アッシリアの王シャルマネセル五世から捕らえられ、牢獄につながれました。北王国イスラエルの首都サマリアはアッシリアの大軍によって3年間包囲された後、滅亡してしまうのです。この列王記を編集した申命記史家の人々は、北イスラエル王国が滅び去った理由を、次のように記しています。列王記下の17:7節以下です、「こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した、彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って、歩んだからである」。しかし、ヒゼキヤ王は、ダビデ王が行ったように、ヤハウェの目に適う正しいことを行い、異教の祭壇を取り除き、異教の神の偶像を切り倒しました。ヒゼキヤはアッシリア帝国の王の僕とはならず、むしろ反逆したのです。

ところが、このヒゼキヤの行動を見たアッシリアの王、センナケリブは、ついに、南ユダ王国の、全ての城壁のある町々を攻撃して、これを傘下に納めたのです。センナケリブは、ヒゼキヤに対して使者を遣わし、「あらゆる国々がアッシリアに降伏している。お前が依り頼んでいる神に騙されてはならない。早く降伏するように」との恫喝の手紙を持たせました。ヒゼキヤは、この手紙を受け取るや否や、ヤハウェの神殿に上り、ヤハウェの前で祈ったのです。19:15節です、「わたしたちの神、主よ、今我々を彼の力から救ってください。そうすれば、他の全ての国は、主よ、あなただけが神であることを知るでしょう」。

その夜、驚くべき事態が発生しました。19:35節に、次のように記されております、「その夜、主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で18万5千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた」。

この、出来事が起きてから、800年ほど時代は下り、1世紀の終わり頃のことです。ヨハネの黙示録は、紀元96年頃、ヨハネが、ローマ皇帝ドミティアヌスの大規模な迫害を予測して、アジアの諸教会に宛てて書いたものです。そして、アジアにある七つの教会に、苦難や迫害に対する励ましと、心構えとを書き送った著者ヨハネの身に、驚くようなことが起こります。

ヨハネは、たちまち“霊”に満たされて、気が付くと、天上の礼拝に招き入れられていたのでした。

長老たちが、玉座に着いておられる神の御前にひれ伏し、自分の栄光を投げ捨ててキリストを拝み、讃美を捧げているのは、深い信仰の顕れでした。彼らにとって、神の救いの恵みが無ければ、“死と滅び”しかなかったのに、このように神を崇めることが出来るようになったのは、キリストの十字架上の死によって備えられた、“救い”の結果以外の何物でもないと言う感謝の礼拝そのものなのです。ヨハネの見た、天上の礼拝の光景を思い描きますと、私たちは、先に読みました列王記下の19:15節、ヒゼキヤ王が、センナケリブに最後通牒を突き付けられ、進退窮まって、主の神殿に上って祈った祈りを思い起こします。ヒゼキヤは、心の底から祈りました。ヒゼキヤの祈りにおいても、ヨハネが天上の礼拝で見た、神への賛美の光景においても、全てが、主なる神の統治のもとにあるということが分かります。つまり、ヒゼキヤが直面したアッシリア軍の脅威も、ヨハネが予測したキリスト者への迫害も、全て、意味があることであって、歴史の完成へ向かっての神のご計画の一部であることが分かるのです。この二つの出来事は、歴史の流れの中で、キリスト者の責任は、あくまでも忠実に神を信頼し、讃美し、祈り続けることであると、教えてくれているのです。



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