説教

2011年7月31日

ヤコブの条件
大坪章美


ヤコブの手紙 4章13-17節


ヤコブの手紙を書いたのは、主の兄弟ヤコブであろうと言われています。この手紙の著者ヤコブは、教会の人々が、神の御意志に従うよりも、世俗社会の価値観の方を優先させて、信仰を持つ者が本来あるべき姿を見失ってしまっていることを、厳しく非難しているのです。今日お読み頂いた4:13以下は、“実業家”や、自分で元手を出して商売する“大商人”が主題になっています。ヤコブは、4章の前半で、教会内部の争いについて述べています。4節では、「神に背いた者たち、世の友になることが、神の敵となることだとは、知らないのか。世の友になりたいと願う人は誰でも、神の敵になるのです」と述べています。そして、ヤコブは、この、“世の友”の具体的な姿として、“大商人”現代風に言えば、貿易商社を採り上げるのです。「『今日か明日、これこれの町へ行って1年間滞在し、商売をして金儲けをしよう』という人たち、あなたがたには、自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです」と語りかけています。ヤコブが大商人たちに呼びかけたのは、彼等のこの世的な考え方に対する警告でした。彼等は、目的の町に滞在し、海上交易で仕入れた商品を保管する倉庫を手当し、1年間かけて、高値で売りさばくための販売ルートを作り上げます。多額の資金も投入します。しかし、人間の予定通りにことが運ぶという保証は、どこにもありません。それにも係わらず、大商人たちは、思い上がった自信の上にあぐらをかいて、長期にわたる、遠大な計画を立てて、あたかも、自分自身が時間の所有者の如くに、一分の無駄もないスケジュールを組み上げて行くのです。ここでは、彼等は、自らが、“神”の立場で振る舞っているようにさえ、思われるのです。しかし、実際のところ、彼等には、1秒あとのことさえ、見えていないのです。翌日何が起きるか、その時、自分の命がどうなっているのかさえも、分かっていないのです。ヤコブは、追いかけるように、この真理を語りかけるのです。「あなた方は、わずかの間、現れてやがて消えてゆく霧にすぎません。むしろ、あなた方は、『主の御心であれば、生き永らえて、あのことや、このことをしよう』と、言うべきです」。こうして、ヤコブは、人間が計画を立てるときの条件について、大商人たちに、指示を与えています。しかし、それは、金持ちの大商人たちばかりではありません。私たち人間は、誰でも、目標を達成するためには、計画を立てなければならないのです。ヤコブの指示は、「“神の御心”を求めつつ、行いなさい。」ということなのです。このように、“神の御心”をこそ、自らの計画の中心に据えて、自分の人生や、事業に取り組む姿勢は、一般に、このヤコブの名前をとって、“ヤコブの条件”と呼ばれています。17節で、ヤコブは、「人が、“為すべき善”を知りながら、それを行わないのは、その人にとって、罪です」と述べています。“為すべき善”とは、これまでにヤコブが述べてきましたように、“御心に従う”こと、つまり、“ヤコブの条件”を自分の生き方にすること、であります。このように、ヤコブは、「為すべき善を知りながら、行わないのは、罪である」と言って、主の御心に従う生き方をするように命じています。「行わないのは、罪である」とまで、言い切っています。私たちは、この言葉を目の前にすると、つい、「やっぱり、ヤコブは、行為義認論なのか」という疑問にぶつかってしまうのです。しかし、ヤコブの言う“行為義認”は、既に信仰をもって、教会に足を運んでいる信徒たちに対して語られている言葉です。ヤコブが主張するのは、イエス・キリストを信じる信仰者が、“善い行いをしないで終わることはない”という考えです。この点、パウロの考えと異なるところはありません。あの、1年間もの長い間の商売を、綿密に計画する大商人も、ヤコブの教会に足を運んでいるのです。“御心であれば”と、神のご意思を求めつつ商売をすることが“善い行い”であれば、実行すべきなのであります。そして、“御心であれば”と、神さまのご意思を問いつつ生きるべきなのは、私たち自身でもあります。今週も御心のうちを、歩ませて頂きたいと願う者であります。



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