説教

2011年7月24日

神に属する者
大坪章美


ヨハネの手紙一 4章1-6節


ヨハネ第一の手紙は12使徒のひとり、ヨハネの教団の流れを汲む者が書いたもので、書かれた時期は、紀元90年から110年頃の間と言われています。以下、この手紙の著者を、ヨハネと呼ばせて頂きます。

紀元百年前後と言いますと、ヨハネの教団からは、正統主義、いわゆるカトリックに向かってゆくグループと、それ以外に、幾つもの異端主義に向かう者たちが分離してゆく時期でもありました。ヨハネは3章の終りで、「私たちが神の掟を守るならば、私たちは、神の内におり、神もまた私たちの内にいる」という、神との交わりの根拠を、“聖霊を持っていること”に求めましたが、この4章1節では、「その霊が、本当に神から出た霊であるかどうかを吟味しなければならない」と語り始めるのです。そして、その理由を、「偽預言者が、大勢、世に出て来ているからです」と言っています。

ヨハネは、その霊が、“神からでたものか”、“異端の教師たちが勝手に言っているものなのか”、を明確に見極める“基準”を示します。2節に記されていますように、「イエス・キリストが肉となって来られた、ということを公に言い表す霊は、すべて、神から出たものです」と、ただ、この一点に尽きると言うのであります。偽預言者と呼ばれている異端の教師たちは、正当な集会に入り込み、その集会を誤った方向に導こうと画策します。では、逆に、“イエス・キリストが肉となって来られた”ということを言い表すことが出来ないとは、一体、何なのでしょうか。ヨハネは、3節において示しています、「イエスのことを公に言い表さない霊は、全て神から出ていません。これは、反キリストの霊です」。反キリストの霊は、「イエスがメシアであることを否定するもの」でありますが、彼らには、「イエスが肉となって、来られた」と言うことを告白できない理由があるのです。

グノーシス主義の代表的な例を挙げれば、“仮現説”をとる集団がありました。彼らは、ギリシャ哲学特有の考え方によって、“霊”だけを神聖なものとし、“肉”を汚れたものとしましたので、受肉して人間となり、人間の世界で生活されたキリストを認めることが出来ずに、キリストの人性を否定したのです。キリストの人性、人間としての肉体や、成長、飲食などの生活と、死は、真実ではなく、単なる幻であり架空の現象にすぎないと見做して、“受肉”も“贖いの死”も否定したのです。従って、神の御子の十字架上の死も、罪の赦しも、罪の贖いも、認めないのです。しかし、これらのことは、彼ら、反キリストの偽預言者、異端の教師たちが、“神の霊”を持っていないということを、白日のもとにさらしているのです。ヨハネははっきりと宣言します、「わたしたちは、神に属する者です」。そして「神を知る人は、わたしたちに耳を傾けますが、神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません」と述べています。ヨハネは、ここで、“神を知る人”と、“神に属していない人”とを見分ける基準を語っています。それは、「わたしたちに耳を傾けるかどうか」であると言っています。そして、これによって、「真理の霊と、人を惑わす霊とを見分けることが出来る」と言うのです。ヨハネは、「私たち、ヨハネ教会の信徒たちに耳を傾ける者が持っている霊は神の霊であり、耳を傾けない者たちは人を惑わす霊に支配されているのだ」と言っています。私たちは、今、「イエス・キリストは、肉体を持って、真の人間として地上に来られた神のひとり子である」と、迷うことなく告白する者たちです。本来、生まれながらの私たちは、“この世”にありました。ただ、“この世”の罪の中に生き、滅ぶしか無かった私たちが、イエスさまの愛と神の選びによって、神の霊を賜り、神に属する者とされたのです。この喜びをもって、今週も新たに歩み出す者となりたいものです。



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