説教

2011年5月15日

パウロの宣教
大坪章美


使徒言行録 26章19-23節


今日お読み頂いた個所は、パウロによる、アグリッパ王への弁明の場面であります。この出来事は、紀元56年、パウロが、第三次伝道旅行のさ中、異邦人の教会から、エルサレム教会の信徒のために捧げられた献金を持って、エルサレムに戻ってきたところから始まります。パウロは、自分のことで、エルサレム教会が悩みを抱えていることを、知らされるのです。エルサレム教会の人々は、パウロが異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、「子どもに割礼を施すな。慣習に従うな」と言って、モーセから離れるように教えている、という話を聞いて、ユダヤ人たちが、パウロの帰還を耳にすると、パウロの身に危険が及ぶのではないか、と警告しているのでした。と、言いますのも、その時から24年も前、ステファノという、信仰と聖霊に満ちた弟子のひとりが、ユダヤ人たちから、「モーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言って告発され、石を投げられ最初の殉教者となっていたからなのです。

そして、パウロが、神殿の境内に居たときのこと、エフェソから来たユダヤ人たちが群衆を扇動して、パウロを捕らえ、境内の外に引きずり出してしまったのです。まさに、あのステファノの時のように、殺されかけた時、ローマ軍の守備隊の千人隊長が報告を聞いて駆けつけ、すんでのところでパウロに鎖をかけ、保護したのでした。パウロは、身柄をカイサリアへと送られます。総督フェリクスは、2年もの長い間、パウロを監禁したままにしておりましたが、紀元59年頃総督はフェストスに代わります。

新総督フェストスは、改めて、パウロを法廷に引き出しますが、パウロは、「ローマ皇帝に上訴する」と主張します。丁度その頃、ヘロデ・アグリッパ二世とベルニケが新総督フェストスを表敬訪問することになるのですが、フェストスの勧めもあって、謁見室でパウロの話を聞くことになったのです。

パウロは、アグリッパ王に、自らが、若い時から、ユダヤ教の中でも最も厳格なファリサイ派の一員として生活してきたこと、今、自分が裁判にかけられているのも、神が与えて下さった約束の実現に、望みをかけているからであること、を訴えるのでした。パウロは、「ダマスコ途上で、天からの光と共に、イエスさまから語りかけられたこと」を、「天から示されたこと」と理解していました。このイエスさまから示されたことに、背かないように、パウロは、ダマスコにいる人々をはじめとして、エルサレムの人々と、ユダヤ全土の人々、そして異邦人に対して、悔い改めて、神に立ち帰り、悔い改めに相応しい行いをするように、伝えたのである、と訴えたのです。そして、「預言者たちやモーセが、必ず起こる、と語ったこと以外には、何ひとつ、述べていません」と主張しました。彼らが、必ず起こる、と語った“そのこと”とは、いったい、何であったのでしょう。それが、23節に記されています。パウロは、「メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも、異邦人にも、光を語り告げることになる、と述べた」だけだ、と言うのです。パウロは、「イエス・キリストが自らの死によって、世の罪を贖われたこと、そして、自らの甦りによって、人々に、永遠の命を得させられたこと」、これが、イエスさまの福音である、と宣べ伝えているのであります。

しかし、この、パウロの宣教の言葉によっても、アグリッパ王は、心を動かすことはありません。28節にありますように、「短い時間で、わたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」とパウロに応じたのであります。一見、傲慢で尊大にも聞こえるアグリッパ王の言葉でした。しかしそこには、“心のゆらぎ”が感じられます。この、アグリッパ王の答えを裏返してみますと、「わたしは、短い時間で、ほとんど、キリスト信者にされてしまった」と告白したのと同じなのであります。パウロの宣教の言葉には、力がありました。いえ、パウロの力というよりは、イエスさまのご栄光を、全世界に広めるために、激しく心を燃え立たせていたパウロの宣教自身が、主なる神さまの御心の現れであったことに、私たちは気づくのであります。



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