説教

2011年4月24日

ご自身を現し給う主
大坪章美


マルコによる福音書 16章1-11節


重苦しく、じれったい安息日が、ようやく明けました。そして、3人の女性は、翌日、日曜日の朝、ごく早く、日の出とともに、昨夜、イエスさまのご遺体に油を塗るために買い求めた香料をもって、山の斜面のお墓へ、急いだのです。そこで、彼女たちが見たのは、「石は、既に脇へ転がしてあった」と石が内側から転がされていた景色であります。彼女達3人が見たこの日最初の奇跡でありました。

それにしても、とてつもない、奇跡です。墓の入り口は、外から開くに決まっています。人間の歴史が始まって以来、変わらないことです。それが、この時、変わったのです。墓が内側から開けられた。“死”が滅ぼされたのです。

3人の女性が、墓の中に入った時、「白い長い衣を着た若者が、右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた」とマルコは記しております。若者は、告げるのです、「さあ、行って、弟子たちと、ペトロに告げなさい。『あの方は、あなた方より先にガリラヤへ行かれる。』と」。

3人の「婦人達は、墓を出て逃げ去った」、「そして、誰にも何も言わなかった」とマルコは、記しています。

そして、3人の婦人たちが、恐ろしさの余り逃げさって、神の御使いの命令を実行することが出来なかったことが、神さまの更なるお導きで、着実に、実行に移されてゆきます。9節には、「イエスは、週の初めの日、朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに、ご自身を現された」、と記されております。

ここに記された、「ご自身を現された」という言葉は、注目すべき言葉であります。この言葉から、私達が理解できますことは、イエスさまは、ご自分の意志でもって、マグダラのマリアの前に、ご自身を現されたのであります。従って、本来、復活なさったイエスさまのお身体は、人間の目には見えない状態であったことが分かります。このようにして、復活のイエスさまは、つらい過去を抱えて生きてきた、しかし、それだけに深く、イエスさまを愛する人々に、まず、御姿を現されたのでありますが、他にも、厳しく、自らの罪の深さを苛んでいた、もう一人の弟子がおりました。

その弟子とは、弟子たちの中でも代表格のペトロでした。しかし、ペトロがイエスさまに一生懸命にお仕えしようと、すればするほど、歯車が噛み合わなくなってくるのでした。食事の後、一同がオリーブ山へ出かける途中の道で、イエスさまが弟子たちに、仰ったことがありました。「あなた方はみな、私に躓く」。ペトロは、このイエスさまのお言葉に、不満を感じて、言い返したのでした。「たとえ、みんなが躓いても、わたしだけは、躓きません」と。ペトロは、こうして、もう知らず知らずのうちに、罪を犯していたのです。イエスさまのお言葉よりも、自分の、人間の思いを先に出してしまっているのでした。“もう、望みは無い”ペトロは、正直、そのように思った筈です。“私は、自分の身、可愛さに、イエスさまを裏切り続けてしまった。しかし、イエスさまにお会いして、赦しを乞おうにも、もう、イエスさまは死んでしまわれた。もう、取り返しはつかない・・・”と、自らを苛むことしか出来ませんでした。そのペトロが潜んでいる隠れ家へ、マグダラのマリアが、息せき切って知らせに来たのです。その知らせは、信じられないことでした。「イエスさまは、生きておられる。イエスさまにお会いした」と言うのです。そして、空の墓に、白い衣の若者がいて、「さあ、行って、弟子たちと、ペトロに告げなさい。『あの方は、あなた方より先にガリラヤへ行かれる』と」と告げた、と言うのです。

ペトロは、それを聞くなり、走り出しました。岩山の墓へ、です。“空”と分かっていても、走り出さずにはいられなかったのです。走るペトロの顔は、喜びの涙で濡れていました。「イエスさまは、わたしを赦して下さった、『ペトロにも告げなさい』と、わたしの名前を呼んで下さった」。胸の中で、何度も、天使の言葉を、噛みしめるのでした。



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