説教

2010年10月10日

合同礼拝説教 愛のかおり
梅田憲章

この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。


マルコによる福音書 14章1-9節


今から2000年も前の出来事です。ユダヤ地方に現われたイエス様は、目の見えない人、歩けない人、さまざまな病気に悩む人々を治してあげました。たくさんの人々はイエス様の教えに喜んで耳を傾けました。

でも、その人たちとは逆に、イエス様が人気者になるということを苦々しく思っている人々もいました。
私たちは昔からの神様との約束をきちんと守っているから、イエス様の話は聞かなくてもいいと思っている人々です。大きな神殿で商売をしている人々、神殿でお金や人々を支配しようとする権力者、祭司や祭司長たち、律法を教え、自慢し、自分をえらいと思っている人々。これらの人々はイエス様を捕まえて、殺そうとするのでした。
イエス様の教えを喜ぶ人たちと、殺そうとする人たちがそれぞれいるなか、今日もイエス様は忙しくエルサレムを歩かれ、夕方を迎えます。

皮膚病で悩んでいたのをイエス様に治していただいたベタニア村のシモンさんの家で、イエス様が晩御飯の準備を待っているとき、一人の女の人がつぼを大事に抱えて入ってきました。そして、イエス様のうしろに来ると、つぼから出ている細い部分をポキンと折って、香油をイエス様の頭に注ぎかけたのでした。イエス様の頭の周りから香りがゆったりと広がり始めます。「これはナルドの香油だ。」 みんなはその香りのすばらしさにしばらくうっとりしました。

しかし、この香りはイエス様に従う人々を二つのグループに分けてしまったのです。

一つは、この女の人と同じように考える人たちです。神様がどんな方かを教えてくださるイエス様に何かをしてあげたい、といつも考えている人々です。イエス様は今、何をしてほしいと思っているのだろうかと、イエス様のことを一番に考える人々です。

もう一つのグループの人々は、そこにいたお弟子さんたちでした。お弟子さんたちは、この女の人をにらみつけ、「なぜ、すばらしい香油を無駄遣いしたのか。この香油を売れば、250万円には売れたであろう。そのお金で、貧しい人々になにかをしてあげられただろうに」といいます。確かに、250万円もあればたくさんいいことはできたでしょう。それはとても大切なことです。

でも、実は、このときイエス様は十字架にかかって、みんなの罪をかわりに背負って死ぬことを考えていたのです。そのことによって、人々の罪が赦されることを望んでいました。ですから、イエス様は女の人が香油を頭に注いでくれたことを、死んだ後の準備をしてくれたかのように感激したのです。

イエス様は、お弟子さんたちに「この人のするままにさせておきなさい。なぜ、お前たちはこの人を困らせるのか。この人は、わたしに良いことをしてくれたのだ。」と静かに言いました。

この、ナルドの香油をイエス様に注いだ女のひとは、イエス様の十字架がもうすぐであることも、それをイエス様は一人で受けようとされていることも、その十字架の死が私たちの罪を救うための身代わりの死であることを分かっていました。イエス様が自分の罪をなくすために、自分の代わりに十字架につかれる決意をなさったことを分かり、そのイエス様が、なにをしたら喜んでくださるかを考えていたのです。

この時代の中で、教会に集う人々こそが、神が求めておられることをしないなら、愛に満ちた行為をいま、しないならば、教会はこの世の中を生きる輝きを失い、愛の香りを失ってしまうでしょう。

しかし2000年に及ぶ歴史が証明するように、主イエス・キリストに救われたもの、救われるものは、人間的な損得や計算から離れ、経験や見通しを超えて、生きて働く信仰のもとに主イエス・キリストと歩んできたのです。

「光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに打ち勝たなかった。」 ナルドの香油が示す、愛のかおりはわたしたちにこう語りかけているのです。



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