説教

2010年2月28日

悪霊を追い出す主
梅田憲章

わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。


マタイによる福音書 12章22-32節


悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来た。この人は悪霊の呪縛の中に閉じ込められ、絶望の中にいた。イエスは悪霊をその人から追い出した。この人は、ものが言え、目が見えるようになった。これを見た群集は興奮した。絶望からの開放の喜びだった。そしてそのどよめきはどんどん大きくなり、「この人はダビデの子ではないだろうか。」という期待の声は広まった。

ファリサイ派の人々はイエスの業を罵り、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」といった。旧約聖書の中には、「占い師」「魔法使」などに対する厳罰の規定があり、この種の超越的霊カを利用して私欲を満たそうとする者は、偶像崇拝を行う者として、死刑に処する定めであった。イエスがベルゼブルによって悪霊を追い出しているという業は、単なる非難中傷ではなく、死刑に処すべき重大犯人と断定したというのであった。

イエスは、国や町や家が内部分裂を起こすということは、自己崩壊を意味する愚かなことだ、と主張した。

また、当時のユダヤ教の祈祷師たちの中で主イエスの名を唱えて、悪霊追放をしている者がいた。彼が神の力で悪霊追放しているというのなら、なぜ私の方をベルゼブルのせいにするのかと、イエスは悪霊追放が神の力によったことを明確に示し、「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」と主張したのであった。

今日の聖書はこの世を支配している「悪魔の支配」を解くものが神であることを示した。しかし歴史を紐解くと、悪霊の支配を解くために、人間の心を含めた科学技術進歩の時代が歴史を作っていることに気づく。神の力を信じる人は減った。科学技術の進歩は、私たちに飢え、寒さ、暗闇などの不都合を追放した、便利で、快適な世界が広がった。娯楽の拡大により楽しみは増えた。医療、医学の進歩により、寿命が延び、自由な時間が増大し、余暇が拡大した。人間の時代が謳歌されている。人々は、快楽を追い求める享楽主義やお金を万能のものとする経済主義や世間の人々や隣人との比較に生きる相対主義などを標榜して生き、善くなるはずと思って、やってきた。しかし、思ったほどには実感として良くなっていないのである。

地球の資源はここ数十年の間に、有史以来蓄積してきたその量を消費してきている。確か40年ほど前に出されたローマクラブの地球が滅ぶ日は、これらの資源が枯渇する日を憂いてのことであったが、埋蔵量が増え、取り出す技術が開発され、消費が抑制され、滅亡の日は遠くに消えてしまった。しかし、これらが尽きる日はそれほど遠く無い時代にやってくる。どうも、私たちは悪魔の支配をクリアーしたかに思っているが、悪魔の出て行った後を神で埋めなかったため、悪霊が住み着いたようである。まさに「マタイ12:43-45 汚れた霊は、人から出て行き、さまよい戻ってみると、空き家になっていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着いた。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」のようである。

主イエスはこの様な時代にも、人々の心から悪霊を追い出し、その人の心をキリストで満たそうと願っている。「神の子が来て、真実な方を知る力を与え、わたしたちは真実な方の内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。」(ヨハネ一5章20節)

この時代、悪霊を追い出し、神とともに生きることには大きな苦難がある。しかし、「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ 16:33)どんな時代でも、神によって開放され、神の国に生きることを信じて歩みを続けたい。



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