説教

2009年12月20日

合同礼拝説教 言は肉となった
梅田憲章

その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。


ヨハネによる福音書 1章1-14節


双子の姉妹のキャシーとエイミーが10歳の時、お父さんは交通事故で天に召されました。お母さんは二人を抱え、一生懸命でした。見つけた仕事も、お給料が少なく、お母さんのためてきた貯金はだんだん減っていきました。お母さんは、恥ずかしいという気持ちを我慢して、キャシーとエイミーの小学校の校長先生に助けを求めました。校長先生は「もうこれからは、心配要りません」と二人分の給食券を用意してくれたのです。安心したお母さんが帰ってみると、今勤めている会社からの手紙で「しばらく仕事がないので、会社に来なくてもいい。」というのでした。お母さんは暗闇の中に突き落とされたような暗い気持ちになり「神様どうしてわたしたちに苦しいことばかりを下さるの」と祈りました。

その時です。一台の車が家の前で止まり校長先生が車から降り、銀紙で包んだ大きな箱をとどけ「これはクリスマスのプレゼントよ。みんなで楽しんでね。」そういって、戻っていきました。お母さんが中を見終った時、玄関のドアーが勢いよく開けられ、キャシーとエイミーが飛び込んできました。「わー、クリスマスプレゼントだ。」そういうと二人は興奮して中身を一つ一つ取り出し、そのたびに「わー」「すごい」「おいしそう」といって果物、キャンデー、ナッツ、クッキーなどを取り出したのです。お母さんは二人の喜ぶ声を聞きながら、「これでやっとクリスマスをお祝いできる」とほっとして、喜びました。その時、キャシーがたずねました。「ママ、これ、だれからの贈り物?」 お母さんは「これは校長先生からのクリスマスのプレゼントなのよ」といいました。しばらくして「ママ、この贈り物はとっても素敵だわ。でも、これは貧しい人の家に届けなくちゃいけないものだわ。」お母さんは「うちも本当はお金がないのよ」と話して聞かせまし。キャシーも「ううん、この贈り物は本当にこれが必要な人の所に行くべきよ。もっと困っている人の所にね」と言い張りました。キャシーとエイミーは、お母さんにかまわず、その贈り物を近所に住む貧しいお年寄りのワニータのところに届けようと決めるのでした。キャシーとエイミーは赤い小さなそりに乗せ、楽しそうに話しながら、ワニータの家のほうにそりを引っ張っていくのをお母さんは台所の窓から眺めていました。と、その時それまで暗く見えていた雪道が突然、きらきらと輝きだしました。みると、厚く垂れ込めたくらい雪雲の間から、一筋の日の光が差し込んできたのでした。お母さんはじっとその場に立ち尽くすのでした。そして、お母さんはこの一連の出来事の持つ意味と美しさをはっきりと知るのでした。 ( 神様からのおくりもの/福音社刊より )

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」しかしそれらは目に見えなかった。それゆえ、それを信ずることが出来ない人を生み出した。

それらの人はこの暗闇の中で「神はいない。」と言い出した。信ずることの出来ないという暗闇は、自分の心の中に,隣人との間に、社会の中にあるのです。そのようなわたしたちを神は救うと決意され、御子イエスをこの世に降して下さるという行動を持って臨んで来られたのです。滅ぼされずにはいれない罪人である人間、隣人を赦すことの出来ない人間に対して,神の側から「時は満ち、神の国は近づいた。」と臨んできたのです。暗闇の中で、感じていた不安や恐怖が光によって取り除かれ、見えなかった課題や問題が見えるようになり、過去が見えるようになり、そこで現在の自分が見え、将来の自分が見えはじめる。さらに、光は冷たさを暖かさに変える。これらのことはすべて、わたしたちに自信を与え、勇気を生み出すのです。

目に見え、耳で聞き、手で触れ、人格的に交流できる存在として神はイエスをわたしたちの歴史の中に遣わされた。神の恵みと真理が自分を導き、人生がぶれなくなっていく。クリスマスとは、自分の中の羅針盤が自分から神の恵みと真理に変わる時なのです。



前のページへ戻る