説教

2009年11月15日

主の山に備えあり
清水真理牧師

神はアブラハムに命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」


創世記 22章1-19節


地区間交換講壇、旭川星光伝道所・美馬牛福音伝道所 清水真理牧師による説教です。


私は二つの教会において会堂建築のときに当たりました。「主の山に備えあり」のみ言葉に励まされてきました。

まず、神はどのような方かをみましょう。神は試みられるお方であります。神はアブラハムに3つのテストをします。
1)アブラハムの愛を試みます。
2)神のお言葉のみに従うこと。
そして
3)従順を試みました。
これらのことの後にとあります。イサクを犠牲にするとは、神が先にアブラハムに抱かせた希望を、」皆踏みにじるかのように見えます。18節試みの中心に「あなたがわたしの声に聞き従ったから」とあり、神の言葉に従うことが示される。イサクのゆえでなく、ひたすら神の約束「あなたから生まれるものが跡を継ぐ。」の言葉を信ずることに徹します。試みから神に出会い、神がどのような方か分かる。神は名指しで呼ばれる方であります。神は備えてくださる方で、与えぬしであります。神は神を畏れる人を知ってくださる方。神はあなたに報いてくださる方であります。

「主の山に備えあり」の意味を次に見ます。全能の神の祝福の贈り物がイサクでした。神はそのイサクを矛盾するようですが「献げよ」といわれます。子の死を妨げない父は神が備える以外にどんな望みももてない。「主の山に備えあり」とは十字架をさしています。やがてみ子が全人類の贖いのため、血を流し、命の代価を支払ってくださいました。イサクの燔祭は十字架の主の先取りであります。「後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角を取られ」、雄羊はそのしるしでした。十字架こそが「主の山に備えあり」の意味であります。

三つ目に教会への言葉を見ましょう。「神は備えられる」とは、神はごらんになるとの意味を持ちます。
1)最も愛した所有物も信仰を持って余さず捧げ尽くす。
2)献げる方法は神の方法ですることであります。イサクが薪を負った姿は砕かれた魂の姿、主イエス様の姿に重なり、また、主は十字架を負って従うことを求めます。
3)教会は試みに勝利する方法を示されました。「手に火と刃物を持つ」火とは聖霊であり、刃物はみ言葉を指します。試みへの勝利、解決のしるしであります。
4)「その子に手を下すな。何もしてはならない。」神は神の分野を侵すことのないように守ります。イサクを生かすも殺すも神のなさる事で全部神にお任せする。ヤーウェ・イルエ(主はそなえてくださる)イェラェ「主の山に備えあり」であります。



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