説教

2007年9月2日

奨励 雲を眺めよ ─ 「ホレンコ喜びへの扉」で放送 ─
梅田憲章

天を仰ぎ、よく見よ。頭上高く行く雲を眺めよ。──
あなたは神を見ることができないと言うが。あなたの訴えは御前にある。あなたは神を待つべきなのだ。


ヨブ記35章5-14節


その時、わたしは55歳で、プラスチックスの研究開発を担当していました。

大きな仕事の発表を明日に控え、風邪をおして、最後のまとめをしていました。長くかかったこの研究も、いくつかの壁を突き破ることができ、理論的にも裏づけられ、いよいよ明日は商業化の提案となったのです。

「梅田さん、明日の発表は大丈夫ですか?」 部下が心配そうに、尋ねてきます。「これが終われば、しばらく休ませてもらうよ。」と答えたものの、左耳ではザザーッという雑音が鳴り続け、鼻をかむと音が飛ぶのを「ちょっとおかしいかな?」とおもい始めていました。最後のまとめが終わり、明日の資料と提示するサンプルづくりを任せて、妻に調べてもらったK病院耳鼻科に滑り込み、「耳が具合悪いので、注射か点滴で直して欲しい」と頼んだのです。

若い医師は症状を聞き、耳を診察し、すぐに検査するように言いました。静かな部屋に入り、大きなレシーバーを耳にあて検査し、左の耳がまったく聞こえていないことが明らかとなりました。医師は結果を見て、「すぐに治療を開始します。そのまま入院してください。」と言います。わたしは「明日の会議だけは出席したい」といったのですが、「びっしり1週間治療して、元に戻るのは50%くらいです。最初の3-4日が勝負です。無理です。耳が聞こえなくても、やむをえないとおもうのなら、治療はしませんが、」と譲らないのです。入院し、点滴をうけながら、ベッドの上で「神さま、どうして今、私にこんなことをなさるのですか。いつもわたしの人生はあと少しのところで、挫折したり、失敗したりしています。何度このようなことをすれば、気が済むのですか。」挫折感と耳が聞こえない不安で夜を過ごしたのです。

翌朝、キリスト教主義のこの病院には朝の礼拝があると聞き、出かけ、そこで今日お読みしたヨブ記の箇所35章5節を聞きました。 「天を仰ぎ、よく見よ。頭上高く行く雲を眺めよ」 雲はイスラエルの人々がエジプトを脱出し、荒野を旅したときに人々を導いた神さまの目に見える形を現している。その雲を見て、神を思えという奨励でした。

自分の生活の中で、朝早くから、夜遅くまで働き、上下左右に気を使い、調べ、考え、計算し、地上を忙しく働きまわり、いつしか、神さまのことを余った時間で考えていた自分。その自分に 「天を仰ぎ、よく見よ。頭上高く行く雲を眺めよ。」と顔を天に向けさせたのでした。

礼拝のあと病院の外に出て、空をみました。なるほど、高く青くすんだ空に、ぽっかり浮かび、ゆったり流れていく白い雲。次から次と色や形や厚さを変えながら、くっついたり、離れたりしながら流れていく雲の数々。この雲にも名前があったけなぁなどと思い、30分ほど眺めていたのでした。雲をこうやって見たのはいつだっただろう?本当に久しぶり経験だな。俺はいつしか、神を見上げる生活から離れていたんだ----と思ったのでした。

ベッドに戻り、聖書のこの箇所を開き、聖書を読み始めました。十四節で、わたしの目は止まりました。 「あなたの訴えは御前にある。あなたは神を待つべきなのだ。」

わたしは自分のことばかりを行い、神の思いを聞かなかった。 神に自分の助けを求め、神の求めを聞かなかった。神に自分の訴えは届いていないとおもっていた。 わたしは神の返事を待てなかった。

空を見、雲により神を見た私は、わたしの訴えが神のところに届いていることを知った。

今までの何でも自分中心の考えが、溶け出し、神の懐に抱かれている自分を知った。八木重吉という詩人が
「きりすと われにありとおもうはやすいが
われみずから きりすとにありと
ほのかにても感ずるまでの遠かりし道よ
きりすとが 私をだいてくれる
わたしのあしもとに わたしが ある」
とうたった詩が思い出された。

わたしの人生が、神に抱かれた人生に姿を変えた瞬間だったのです。



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